文春オンライン

77年、運命の夏

乗客のほとんどがロシア人、幻の東京―下関“弾丸列車計画”…大日本帝国の絵はがきと綴られた言葉

乗客のほとんどがロシア人、幻の東京―下関“弾丸列車計画”…大日本帝国の絵はがきと綴られた言葉

『絵はがきの大日本帝国』より#1

2022/08/15
note

 流線形の「パシナ型」と呼ばれる蒸気機関車が豪華客車を牽引し、大草原を猛スピードで走る。満鉄の看板列車「あじあ」の勇姿は「飛躍する満洲」を日本人に印象づけた。

 特急「あじあ」は1934(昭和9)年11月1日に運行が始まり、午前10時に大連を出発、午後2時42分に奉天着、首都新京には午後6時20分に到着した。先頭車を捉えた「新京驛に停車中のあじあ」は独特の外観だ。大連―新京間の701・4キロを8時間20分で結び、平均時速は80キロを超えた。

「新京驛に停車中のあじあ」(「ラップナウ・コレクション」より)

 高速運転を実現するため、蒸気機関車と共に六両編成の客車もまた流線形にした。手荷物郵便車、三等車、食堂車、二等車、一等車の順に、最後尾の車両は洋風サロンの一等展望車だ。客車内は冷暖房を完備し、一・二等車の座席はボタン一つで45度回転して車窓が楽しめる設計となっていた。現在とほとんど変わりない快適な鉄道の旅が約束された。

ADVERTISEMENT

ソ連の北満鉄道が満鉄の委託経営に移ると特急「あじあ」は“あの場所”まで延びた

 ソ連の北満鉄道が満洲国に買収され、満鉄の委託経営に移ると、特急「あじあ」は1935(昭和10)年9月1日からハルビンまで運行を延長した。ダイヤ改正後は午前8時55分に大連発、午後1時44分に奉天着、午後5時20分に新京着、午後9時30分に終点ハルビン着となる。大連―ハルビン間は943・43キロに及び、最高速度は時速130キロを誇った。

「ハルビン駅構内」(「ラップナウ・コレクション」より)

「ハルビン駅構内」では、説明に「スマートな流線型超快速列車アジア号がプラットホームに着いた所、伊藤公の遭難も偲ばれて今伊藤公ありせば、の感慨油然たるものがあり、東支鉄道譲渡後の発展に涙ぐましい感激を覚える」と添える。伊藤公とは、安重根に暗殺された伊藤博文だ。特急「あじあ」が到着する駅のプラットホームが事件現場だった。