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77年、運命の夏

乗客のほとんどがロシア人、幻の東京―下関“弾丸列車計画”…大日本帝国の絵はがきと綴られた言葉

『絵はがきの大日本帝国』より#1

2022/08/15

 太平洋戦争が終結して、今年で77年になる。明治維新を経て誕生、20世紀半ばに向かって拡大を続け、そして崩壊に至った大日本帝国。

 その栄枯盛衰を、世界的な絵はがき収集家ラップナウ夫妻による膨大なコレクションを題材に読み解いていったロングセラー『絵はがきの大日本帝国』(二松啓紀著)より、第二次世界大戦に向かっていく当時の日本について一部を抜粋して引用する。

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満鉄の経営危機を救った満州事変

 満鉄の役割は満洲の経済開発そのものにあった。運輸、流通、港湾、鉱業、電力、水道など、あらゆる事業に投資が行われ、1925(大正14)年までに満鉄の関連会社が35社となり、1930年代には「満鉄コンツェルン」と呼ばれた。

 しかし、その規模ゆえに世界恐慌の影響も大きい。創業以来、黒字経営を続けてきた満鉄であっても無風というわけにはいかない。大豆輸出や石炭販売の激減に伴って、鉄道の貨物輸送が落ち込み、1931年度は初の赤字を記録した。約2000人の職員を解雇するほどだった。そんな経営危機を満洲事変が救った。

 1933年2月9日、満洲国政府は国有鉄道の経営を満鉄に委託する契約を結ぶ。満洲事変で満鉄が関東軍に協力した見返りだった。全長は2939・1キロに及び、ソ連が経営する北満鉄道(北満鉄路、旧東清鉄道)を除いて、満洲国における鉄道網の大部分が満鉄の手中に収まった。

 この事業拡大に合わせて、3月6日の臨時株主総会は資本金4億4000万円から8億円への増資を決定する。新たに発行する720万株(3億6000万円)の半分360万株を日本政府が引き受けた。残る半分のうち220万株を民間株主、20万株を社員、120万株を一般公募とした。

 当時の経営状況を示した絵はがき「満鉄の施設」がある。各都市が結ぶ鉄道を背景とし、満鉄が経営する「工場」「旅館」「試作農場」「獣疫研究所」「農事試験所」「地質調査所」「中央試験所」「満洲資源館」「採炭所」「製油工場」の位置を示す。「半官半民」「資本金八億円」「満洲国鉄道北鮮鉄道委任経営」を謳う。

「満鉄の施設」(「ラップナウ・コレクション」より)

 鉄道・港湾・炭鉱の三大事業を柱に鉄道附属地の行政権まで握った。巨大企業である満鉄の株は人気を呼び、やがて満洲で得た莫大な利益は株主配当を通して、それぞれの株主へと行き渡った。

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