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77年、運命の夏

乗客のほとんどがロシア人、幻の東京―下関“弾丸列車計画”…大日本帝国の絵はがきと綴られた言葉

乗客のほとんどがロシア人、幻の東京―下関“弾丸列車計画”…大日本帝国の絵はがきと綴られた言葉

『絵はがきの大日本帝国』より#1

2022/08/15
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幻の東京―下関“弾丸列車計画”

 こうして飛躍する大陸と内地との輸送が増加する中、鉄道省は弾丸列車計画(東京・下関間線路増設計画)を立案する。

 1940年3月、帝国議会で関連予算が成立した後、工事認可を経て、熱海工事事務所の新丹那隧道及び日本坂隧道、大阪工事事務所の新東山隧道のトンネル工事が着工した。

 当時の計画によると、標準軌(当時は広軌)1435ミリを採用し、東京と大阪を4時間20分、東京と下関を9時間で結び、最高速度は時速150キロとし、将来は時速200キロまで引き上げる予定だった。その弾丸列車計画で設計された蒸気機関車の外観は流線型を採用し、満鉄の特急「あじあ」を牽引した機関車とよく似ていた。

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 高速で走る「あじあ」を捉えた一枚は左右にぶれているのではなく、スピードを誇張した表現だ。新京観光協会が発行したシリーズ「躍進満洲」のうちの一枚となる。

高速で走る「あじあ」(「ラップナウ・コレクション」より)

 戦局の悪化によって弾丸列車計画は中断されたが、満鉄の「あじあ」が「躍進する満洲」を表したように、戦後は国鉄の新幹線が高度経済成長を遂げる日本の象徴となった。まさに描かれたイメージをそのまま受け継ぎ、描かれる被写体が「あじあ」から新幹線へと置き換わった。(#2に続く)

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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