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「当地には満洲国皇帝陛下の皇居もあり、今や…」当時の絵はがきに綴られた言葉
満洲では、ホテルや旅館、温泉などの観光開発が進められた。大陸旅行に人気の兆しがあり、その核となる特急「あじあ」の宣伝は特に力が入った。
「あじあの豪華なる食堂車」は洋食が中心のメニューで、カツレツやステーキ、ライスカレーなどが楽しめた。「特急『あじあ』展望室」は豪華な洋風サロンだ。乗客のほとんどがロシア人で占められる。差出人は特急「あじあ」の乗客だった。
裏面に「今四日はこの立派な列車あじあの展望車に収まって果しなき満洲の広野を眺めつつハルピンから新京ヘ南下しました。当地には満洲国皇帝陛下の皇居もあり、今や国都建設の為非常な勢いで発展中です……」と記し、1936(昭和11)年10月4日夕に新京のヤマトホテルから三重県三重郡神前村(現在の四日市市)に宛てて投函している。少し裕福だった日本人が満洲ブームに乗って大陸旅行を満喫していたのだ。