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「な、な、なにこのコラボ……」心地よい自虐作『翔んで埼玉』が翔べなくなった日

サブカルチャーの理想が、スクリーンの外の現実に敗北した

CDB

2019/03/21
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 「第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった。私たちの文化が戦争に対して如何に無力であり、単なるあだ花に過ぎなかったかを、私たちは身を以て体験し痛感した。西洋近代文化の摂取にとって、明治以後八十年の歳月は決して短かすぎたとは言えない。にもかかわらず、近代文化の伝統を確立し、自由な批判と柔軟な良識に富む文化層として自らを形成することに私たちは失敗して来た」

 引用するのも気が引けるが、これは百万回語られた角川文庫発刊における角川源義氏の辞である。でも僕にはこれが戦前の日本文化のみならず、まるで自分たちの世代のサブカルチャーについて書かれた言葉のように感じる。

サブカルチャーの理想が、スクリーンの外で敗北した

 僕たちはたぶん『翔んで埼玉』という映画の中にサブカルチャーの理想を見て、そしてスクリーンの外でその理想の退廃と敗北の現代史をもう一度体験したのだと思う。

 僕はそれがこの映画を作ったスタッフの責任だとは思わない。映画は確かに翔んでいた。政治構造の重力から身をはがし、自由で高い視点をスクリーンの中で見せた。翔ぶことに失敗したのは現実にいる僕たちの側だ。

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 僕たちは映画の中でローカルラジオから流れる、カースト構造の中でアイデンティティにしがみつき憎み合う都市伝説の中に今もいる。きっとこの宇宙のどこかで島崎遥香に似た女神が(「こいつらマジで馬鹿じゃねえのか」という表情をさせたら今日本でナンバーワンの女優だと思う)僕たちを眺めて呆れているのだろう。そしてここからの脱出は、GACKTにも二階堂ふみにも頼ることはできないのだ。

THE BLUE HEARTS『青空』

 今回の騒ぎのあと、僕は映画『翔んで埼玉』を映画館にもう一度見に行った。映画は何も変わらない。脚本と演出はクールなウィットと熱い情熱を両立させ、千葉解放戦線リーダーを演じた伊勢谷友介も、映画『ギャングース』で心正しき貧困のギャング少年を演じた加藤諒も素晴らしい演技で東京から切り捨てられた人々を演じていたし、島崎遥香は変わらず最高の表情で身分制度をめぐるバカ騒ぎに呆れ返っていた。

 僕は原作が描かれた昭和と映画が作られた平成の境目にリリースされた、ブルーハーツの『青空』という歌をずっと思い出していた。こんなはずじゃなかっただろ? 映画はいつもそんな風にして僕たちを問い詰める。スクリーンの向こうに広がる、東京都民と埼玉県民が手を取り合って暮らす差別のない虚構の日本の、まぶしいほど青い空の真下で。

「な、な、なにこのコラボ……」心地よい自虐作『翔んで埼玉』が翔べなくなった日

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