文春オンライン

「1行目を書いてみたら、硯(すずり)が喋った」直木賞受賞・大島真寿美さんインタビュー

『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』はどうやって生まれたのか

2019/07/19
note

――後半になると、お三輪ちゃんの声が聞えてきますよね。前半を書いているうちからその予感はあったのですか。

大島 ありました。書き始める手前の頃に、この小説はお三輪ちゃんの語りで書くかもと思ったこともありましたから。でも1行目を書いてみたら硯だった(笑)。それで、ああ、お三輪ちゃんは語らないんだなと思ったんだけれど、まあ、後半になったら喋る喋る(笑)。

 お三輪ちゃんが突然語り出した時、もしも「なんか違う」と思ったら書き進めなかったかもしれない。でも、なんだか飛行機が飛び立つように、すーっと進んでいったんです。だから何の不安もなかった。ああ、自分はこういう、二つの語りがシームレスに繋がっていくみたいな、でも異相があるようなものが書きたかったのかなと思いました。その語りを書いている気持ちよさはすごくありました。

ADVERTISEMENT

もう終わりに近づいているなとか、分かるんです

――本作をはじめ『あなたの本当の人生は』や『ツタよ、ツタ』などは、創作というものが大きなテーマにもなっている。でもそれも意識して書いていることではないんですか。

大島 ついそうなっちゃうんです。私がそこに興味があるんでしょうね、だからつい出ちゃう。でも今回だって、そこを書きたいから半二という物書きの話にしたわけじゃないんですよね。そもそも「妹背山」がスタートですから。

©山元茂樹/文藝春秋

――プロットを組み立てずに感覚的に書き進める大島さんですが、物語をどう閉じるかはどこで分かるんですか。

大島 書いていると後半戦に入ってきたなとか、もう終わりに近づいているなとか、分かるんです。そうなると、どういう1行で終わるかを楽しみにしながら進んでいくみたいな感じ。それで最後の1行を書いて、「ああ終わっちゃったよ」って。終われてよかった、という気持ちももちろんあるし、「これでもう江戸時代の道頓堀とはおさらばやなあ」という寂しさもあったりして。

 でもあまりに楽しかったから、頭が元に戻ろうとしないの。それで「妹背山」の現代語訳に突入してしまったんですよね。趣味として全部訳して、さらに他の半二の作品も訳そうとしたところで「こんなことやり続けていてはいかん」と目が覚めました。

――でも昨夜の記者会見で、またあの道頓堀の世界を書こうと思っている、とおっしゃっていましたよね。

大島 そう、「オール讀物」にスピンオフ的な短篇か中篇を書こうと思っています。どんな話になるのかは、やっぱり1行目を書くまでは分からない(笑)。