大切なものは目には見えない。
本当だろうか。
好きな人の髪に触れたときめきや一生の思い出。こういったアンニュイなものも心拍数や思い出し笑いの数で測れるんじゃないか。
そんな無粋なことを考えている。
測るのが好きなのだ。ポエジーで済まされていたものがかっちりと数字で出てくるのが気持ちいい。いや、もっと正直に言うと、測るという行為そのものが好きだ。計測器はもっと好きだ。
どの店の中ジョッキがいちばん多いのか、酔っぱらいの頬と夕焼けはどっちが赤いのか、プレゼン資料を忘れたときの発汗量、割り箸がちゃんと割れない確率。
なんでも測りたい。測って興奮しているだけの連載、である。
勢い余って10mのメジャーを買った
初回はいちばんオーソドックスなもの、長さを測りたい。
使う計測器は巻き尺だ。東急ハンズでいちばん長いメジャーを買ってきた。10mだ。
10mもあるとさすがに戻したときのショックが尋常ではない。ドゥンという衝撃に思わず声が出る。
しかしこの先の原稿を読んでもらえれば分かる通り、10mも要らなかった。だいたい2mぐらいのものしか測っていない。
日本の高速道路が時速100キロ制限なのに時速200キロ出るフェラーリを買ってしまったようなものである。やっぱりフェラーリ欲しいじゃん。
そう考えるとこのメジャーは3000円もしたがフェラーリに比べれば格段の安さだ。お得な買い物をした(話をすり替えた)。
長さを測ると人の顔が見える
さて、長さである。
長さを測ると世の中は誰かが作っているということが分かる。
なぜなら、たいていのものが100ミリか50ミリ単位だからだ。誰かが設計して作ったのだなということを感じる。書けば書くほど当たり前だが。
これを決めるときに、「1メートルあけておけば自転車は通れないけど人は通れるかな」とか「この幅にこの本数だとえーと400mm間隔だな」と考えた人がいるのだ。
なんてことはないものに人の顔がちらつく。
ふとんを触って「まだ暖かい、遠くには行ってないはずだ!」と叫ぶときぐらいの人の気配である。
測ることの醍醐味はまだあるのだ。