Q 「物を持たない暮らし」、鈴木さんはどう思いますか?

「物を持たない暮らし」という特集を最近良く目にしますが、身近でそういう人に出会ったことが無いので、本当に実在するのか不思議です。死ぬ準備をしているように見えて、切なくなります。鈴木さんは「物を持たない暮らし」についてどうお考えですか?(30代・女性)

A 私はマテリアル過剰な部屋に住んで、不必要なものの豊かさを感じるのが大好きです

 欲しいものがある程度手に入り、家の中が豊かさで満たされた人たちが断捨離やミニマルライフという見出しに魅力を感じるのは当然で、積み重なった地層のような本や服を整理して身の回りをリセットしたい、という気持ちはわからないでもないです。物をリセットしたところで、その人自身の過去や人間関係のしがらみ、辛い思い出などがリセットされるわけではありません。重い荷物を持たない暮らし、というとなんとなく日頃の重責から解放され、身軽になる気がするだけで、具体的なモノはモノ、抽象的な荷物は荷物でそれぞれ別個にあるのだ、というのが私の意見。私はマテリアル過剰な部屋に住んで、不必要なものの豊かさを感じるのが大好きです。

 ということで、「物を持たない暮らし」というキャッチコピーの薄っぺらさに気づいてしまえば、その輝きが失われるのも時間の問題である気もします。ただ、実はこのコピー、本当は結構根が深いものでもあるのかもしれません。

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 バブルから不景気を経ての大震災、私たちの暮らしは少しずつ豊かさを失ってきました。今も、街を歩けば最新の携帯機種が並び、パリコレで見たような服はすぐに量販店のショーウィンドウに並び、スマホの画面を少しなぞれば太平洋の向こうから靴を取り寄せるのも容易です。それでも、バブルやバブルの残り香が色濃くあった90年代のような何でも手に入る、欲しいものをとにかく手に入れる、といった万能感は失われたように思います。

 つまり、難しく失敗が多い恋愛を諦めた層が草食であることを美徳としたように、もののなさ、豊かさの欠如、過剰の対極を美徳とすることで、欠如や貧困を悲観せずに生きられる。逆に言えば、ものがないことを美徳とするのは、そうしなければ虚しくなるという必然性をはらんでいるのかもしれません。だとしたら、見方を変えればそれなりにポジティブでおしゃれな考え方とも捉えられますよね。

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