――シリーズものでいいますと、他には〈覆面作家〉シリーズがありますね。『覆面作家は二人いる』(91年刊/のち角川文庫)からはじまる3作。ちなみにこのシリーズは男性が語り手ですが、一度も一人称が出てこないという。以前北村さんとの対談で米澤穂信さんが「超絶技巧ですよ」と指摘されていて、「確かに!」と思って。
北村 〈私〉のシリーズで本の名前がたくさん出てくるので、こちらではあまり出さないようにするなどトーンを変えました。小説では「僕」とかは書かないんです。でも3冊読んで、不自然じゃなかったでしょ?
――はい。3冊にわたって一度も一人称を使わないのって、大変じゃなかったですか。
北村 プロだもの(笑)。推敲するけれど、推敲したなという感じを与えたらしょうがないわけでね。水鳥の脚使いですね。
――専業になったのはいつ頃ですか。
北村 『スキップ』(95年)を出した時には専業でしたね。あれは高校の先生が出てくるでしょう。実際に自分が教師の頃は、書きにくかったんですよね。辞めたから『スキップ』は書けたんです。
――その後、驚いたのは『盤上の敵』(99年刊/のち講談社文庫)。妻を人質に立てこもった犯人と、夫との攻防戦ですが、意外な真相が明かされる。北村さんにしては、とても残酷な話でもありますよね。
北村 これは先に仕掛けがあったんです。それで書いたわけですが、冒頭で物語によって安らかな心を得たい人には不向きである、と断らないわけにはいきませんでした。
――そういえば『盤上の敵』の前がまったく違って可愛らしい『月の砂漠をさばさばと』(99年刊/のち新潮文庫)ですよね。さきちゃんという女の子とお母さんの日常を描いた可愛らしい話があったりして。
北村 これはそういう依頼があって。その前に「くまの名前」という短篇は書いてあったんですけれども。この本は書いておいてよかったと思いますね。あの頃の自分のリアルな日常生活なんです。子どもを寝かしつけていましたから。くまさんが新井さんちに行ってアライグマになった、というような話を実際にしていたんです。まあ、でも子どもの面倒を見ているお父さんというのが書きにくかったので、お母さんという設定にしたんです。
――ああ、なるほど。それにしても北村さん作品は女性が語り手のものが多いですよね。
北村 太宰治もそうでしょう。書きやすいんです。やっぱりひとつの仮面なんですね。仮面ライターなんです。
――あ、ダジャレが出た(笑)。男の人が語り手の時に「僕」とか「俺」とかは使いづらいけれど、女の人だったらすんなり「私」が出てくるんですね。
北村 男性の場合はね、普通に「俺」って喋っている人はいるんだけれど、文章化したらすごく不自然。すごくガサツな感じになる。でも「僕は」と言っている人は結構少ない。女性の一人称のほうが、やはり自分も少し演技するところがありますから、そのほうが書きやすいですね。
――その女性がみな、非常に魅力的です。凛としていて清潔感があって、人間味もあって。
北村 自分はなかなかああいうふうにはなれないけれども、あんなふうに生きられたらいいなあ、というところを託して書いていますね。