『いとま申して』から、パソコンで調べものをするようになりました
――『いとま申して』の第3巻に取り掛かっているんですか。
北村 はい。『いとま申して『童話』の人びと』(11年刊/のち文春文庫)と『慶應本科と折口信夫 いとま申して2』(14年文藝春秋刊)を出して、今第3巻の準備をしています。これが最終巻になります。昭和8年の4月から、昭和12年の9月までで話のひとくくりがついて、最後にエピローグ的な終章がついて、その後の顛末をちょっと語るような。
――これは北村さんのお父さんの日記をもとにした作品ですよね。
北村 そうです。それも昔のことなので、調べるのが大変なんです。次はいよいよ山場であります折口先生との確執が出てくるので、そうなると折口先生の著作とか民俗学とか、柳田國男先生の著作などをある程度読まなくちゃいけない。今までもその当時の時代の資料をいっぱい読んできましたが、今回は特に資料読みが大変で。さらに父の妹のマスミというのが、ある意味副主人公になるんですけれど、その彼女がキリスト者になったんですよね。それで、自由学園の講習会に行ったり、婦人之友の会の活動に参加していたらしい。戦前の友の会にどんな人がいたか、どんな活動をしていたのかを調べてクリアにすると、見えてくることがあるわけです。そういう要素が次から次へと出てくるからもう大変。『いとま申して』をやり始めてから、パソコンで調べものをするようになりました。でもいまだにネットで買い物はできないんです。
――3部作で収まるんですか?
北村 収まります。収めます。不思議なものでしたね、ちゃんとそうなるように生きててくれたのでね。
――お父さんの日記を本にまとめようとは、いつ頃から思っていたんですか。
北村 日記があるのは父の生前から知っていたんです。でも日記はプライベートなものでしょう。だから見ようとは思わなかったですね。でも父が亡くなってしまった後に、やっぱり日記が残っているという思いがあって、それで読み始めて、これは大変だと。読むのに20年くらいかかりましたね。難読でしたし。なかなかそこに書いてあることが分からない。これはやっぱり息子が私だったから読めたんだろうというと、なんか非常に格好つけているような感じになるけれど。たとえば「伽羅先代萩」という歌舞伎の演目には、それから派生した「早苗鳥(ほととぎす)伊達聞書」という演目があるんですよ。そういうことが分かる人間ってなかなかいないのでね。私はラジオでよく聞いていたんですが、そういうふうな形で育ててくれたのは父親なんです。羽左衛門の名調子とかも、聴いていたので耳に残っているんです。それであっても私は埼玉で育ったので、父が生まれ育った保土ヶ谷や横浜の土地勘はなく、最初に出てくる土地の名前はちんぷんかんぷんでした。
ただ、父の時代の慶応大学の学生生活なんていうようなものはね、なかなかこのようなリアルな形では残されていないと思うんです。西脇順三郎先生がこう言った、なんていう学術論文的なものじゃない話もある。早慶戦は2勝先取しなければいけないのに西脇先生は「1回やれば勝ち負けなんか決まるのに、なんで2回もやる必要があるんだ。1回でいいじゃないか」と言ったそうです。いかにも詩人らしい言葉で、なるほどね、なんて。そういう、なんでもないことを書いておくんです。洒落なんかでも昔は「許してちゃぶ台」なんて言えば通じたわけです。我々の常識としてありましたからね、そういうことも書いておく。今は通じないでしょう。今だったら「どうもスマホ」なんて言ってね。
――えー、「どうもスマホ」、はじめて聞きました(笑)。
北村 私もはじめて言いました(笑)。その時代でなきゃ通じない洒落みたいなものは、どんどん時とともになくなっていってしまいますから、書いておくんです。
――以前、「鶴亀、鶴亀」が通じないという話をされていましたね。私も知りませんでしたが。
北村 そう。不吉なことを言ったりした時に縁起のいい言葉として「鶴亀、鶴亀」と言って帳消しにしようという。今はまったく聞きませんよね。
――その第3巻はいつ頃刊行される予定なのでしょうか。
北村 いつでしょうね。極力他の仕事をしないようにして、そこに集中しないと。まだ本当に下調べ段階ですのでね。父の日記の整理をし終えていたのを再整理して。それからその頃に来た手紙なんかが少しあるので、そういうものなんかを絡めてやっているところです。脇がいろいろ固まるところ。なので、ちょっとどれくらいかかるんだろう…という感じですよね。死ぬまでにはやらなくちゃいけない。冒頭に「春来る神」とふっておきましたが、誰が訪ねてきたかは第3巻のエピローグで解決される。そこまではなんとか存命中にやらなくちゃいけないので。
――存命中なんていわれると、あと何十年かかるんだろうと思ってしまいますが。
北村 それはありがたいですね。まあ、『うた合わせ』もね、始めた時には50回連載なんて言われて「えーっ、連載終わるまで生きているのかな」という感じがしたけど、あっという間で、なんとか本も出せたわけですから。