今を見つめるヒント
こうして振り返ってみると、僕は、どうやら実際に起きた歴史そのものよりも、その歴史をどう見るか、というほうに興味の重点があるようです。そういう意味で対照的なのは宮さん(宮崎駿監督)で、徹底して具体的なものにしか興味がない。たとえば堀田善衞さんの『方丈記私記』(ちくま文庫)などを読んでも、平安末期、地震、水害、疫病、飢饉などに次々と襲われる都の具体的な描写に没入して、頭の中で絵として再現するのが好きなんですよ。そして、そこに自分も身を置いてみたい(笑)。
一方、僕は鴨長明という人物の方に興味がいく。京都の由緒正しい神官の家に生まれるのですが、十八歳で父を亡くし、祖母の家に行くと、実家の十分の一くらいの大きさなんですね。そして最後は一丈四方の方丈の庵に住む。つまり生涯、どんどん家が小さくなっていく人なんです。歌と琵琶で出世しようとしたり、どうも脱俗というよりも、時代に流され翻弄された人、というように見えてくる。そうやって鴨長明に現代人を重ねてみたり、逆に「NHKスペシャル」なんかを見て、これは歴史の流れの中でどの辺に位置するのか、と考えたりするのが好きなんですね。
最近で言えば、水野和夫さんの『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)も面白かった。資本主義は常にフロンティアを生み出すことで自己増殖してきたのだけど、もはやアフリカくらいしか残っていないという指摘で、これから人間はどうなっていくのか、という思考にとても刺激されます。結局、いま自分が生きている、このよくわからない現在というものを見るための視点やヒントを与えてもらうのが、僕にとっての歴史との付き合い方なのでしょう。