実は、僕は大学で社会学を専攻したのですが、卒業論文はなぜか歴史について書いたんですね。タイトルは「個人における歴史の役割」(笑)。有名なプレハーノフの『歴史における個人の役割』(岩波文庫)を引っくり返して、三日間で仕上げたんですが、その学生時代に出会って以来、何度も読み返しているのが、E・H・カー『歴史とは何か』(岩波新書)です。
この本には「歴史とは、現在と過去との対話である」という有名な言葉が出てきます。つまりそもそも歴史の「事実」自体が見る人によって異なるもので、時代や立場によって変わっていくものだ、というところから始まるんです。僕たちは現在の目でしか過去を見ることが出来ないわけで、逆に歴史をどう見るかと問うことは、いまの自分たちの姿を知る方法にも使えるんじゃないか、そんなことを考えたんですね。
だから、僕にとってはダニエル・J・ブーアスティンの『幻影の時代』(東京創元社)なんかもメディア論であるとともに、時代を考察するという点で、歴史の本でもあるんです。これは一九六一年に書かれていますが、当時のアメリカに代表される大衆消費社会、そしてメディアの存在が具体的な事例とともに描き出されています。これは、実は僕が映画宣伝を手がける上で、とても参考になった一冊でもあります(笑)。
というのは、僕らが映画の仕事を始めた八〇年代、九〇年代には、「この映画は三十代後半の働く女性」などと、最初からターゲットを細かく設定するマーケティングが大流行していたんですね。だけど、僕はジブリ作品の企画書にはいつも「ターゲット……オール世代、男女問わず」と書いたんです。宣伝や配給の責任者からは怒られましたが、僕はむしろ同じものを誰もが欲しがる、見たがるところに、大衆消費社会の本質はあって、そのマーケットのほうが実は広いのではないか、と考えていたんです。そのバックボーンとなったのが、ブーアスティンであり、リースマンの『孤独な群衆』(みすず書房)やエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』(東京創元社)だった。現在をみるために、あえて近過去に視点を置くことも有効なのだ、と知りました。