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【DeNA】背番号5・倉本寿彦に、いま、会いにゆきます

文春野球コラム ペナントレース2017

2017/08/03
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私、会いに行ってきます

 私の中に芽生えた小さな変化を、まだ誰も知らない。いつものようにママ友と連れ立って行くファミレスを、私は初めて断った。「ごめんね、ちょっと家でやることがあって」。言葉にしてみたらたったこれだけのことなのに、どうして今まで言えなかったんだろう。別に嫌いなわけじゃない、だけどいつもいつも一緒じゃなくたっていい。「いないところで悪口を言われていたらどうしよう」と、そのことばかり気にしていたかつての私。倉本は群れない人だ。ベンチでもグラウンドでも、自分のペースで行動している倉本が眩しかった。「自分のことは自分で決めろ」そう言われている気がしたから。何か大きな力に守られているようで、むしろ誇らしい気持ちで私はママ友の群れから離れた。

 倉本に会いたい。グラウンドで泥まみれになっているその姿が見たい。応援歌を、その名前を思いっきり叫びたい。その欲求はどんどん大きくなり、抑えきれなくなっていた。野球を観に行くなんて言ったら、夫はどんな顔するだろうか。

「別にいいけど、なんだよ突然」。案の定、びっくりしたような、ちょっと呆れたような口調で夫は言った。「お友達に誘われたの。たまには気分転換にって」「ショートが何かも知らないお前に?」。ドキッとした。ショートが何かどころか、私はそのショートを守る選手に会うために横浜スタジアムに行くのだから。「男か?」「まさか」「だよな、お前にそんなのいるわけないもんな」。この人ののんきな性格はたぶん一生そのままだろう。でも私は変わるの、変わりたいの。誰かほかの男性と観に行くほうが、まだ罪の意識は軽いかもしれない。私はひとりで行ってきます。初めての野球、初めての横浜スタジアム、初めての倉本寿彦。私の平凡な日常に、鮮やかな色彩と、むせるような香りと、甘い蜜をもたらしてくれたその人に、会いに行ってきます。

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 クローゼットの一番奥の引き出しに、静かに手をかける。「かっとばせ……見せろ男意気……」。躑躅色の刺繍を撫でながら、小さくつぶやく。もう戻れない、あの日の私には。

平凡な日常に、鮮やかな色彩と、むせるような香りと、甘い蜜をもたらした倉本寿彦 ©文藝春秋

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※「文春野球コラム ペナントレース2017」実施中。この企画は、12人の執筆者がひいきの球団を担当し、野球コラムで戦うペナントレースです。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイトhttp://bunshun.jp/articles/3597でHITボタンを押してください。

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