夏風邪の原因

 夢を見た。

 なんの飲み会かわからないけど、煤けた居酒屋の小上がりで私はワイワイ飲んでいた。宴たけなわの頃、やたらガタイがいい男がやってきた。

 山口じゃん。

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 山口俊が立っていた。

 夢の中の私は、知り合いでもないのに咄嗟にそう呼びとめた。私以外誰も山口が来たことに気づかない。山口はなんかニヤニヤしていて、私は心底腹が立った。

「何やってんだよ!!」
「バカ!!」
「バカ、バカバカ!!」
「酒なんか飲むな!! 飲んでも酔うな!!」
「バカーーーーー」

 冷静に考えれば「なんでこんなとこにいるんだ」と問いただすべきだろうが、私は小学生のケンカレベルの言葉をひたすら山口にぶつけていた。怒りがマックスになって山口に飛びかかろうとするも、身体は鉛のように重く、思うように動かない。

 ……ものすごい頭痛と関節痛で目が覚めた。体が熱くて、測ったら38度を超えていた。山口のせいだ、全部山口のせい。後半戦開幕3連勝、貯金は5。こんなこと滅多にあるもんじゃない。本当なら全身全霊で喜びの舞を捧げたい気分だ。それなのに、ずっと頭の片隅にあの事件が消えないシミのようにこびりついている。まだ事実関係がはっきりしない中で、しかも現在他チームに所属する選手について何か言うのは、決していいことじゃないと思う。だけどどうしても、「もう関係ない」と言えない私がいる。

不思議と何も浮かんでこない

 全てにおいて間の悪い男。去年、番長パイセンが涙の引退をした。ベイスターズを長く支えていた大きな柱が静かに去っていった。そんな番長が長く長くそして辛抱強く、その類まれなる資質が満開になるのを願っていたのが、山口だった。温厚な人が、こと山口に関しては時に辛辣なアドバイスも口にしていた。きっと引退を決めるだいぶ前から考えていたんだと思う。自分はこのチームの「エース」ではないこと。このぽっかり空いていたベイスターズのエースの座、そこにおさまるのは山口しかいないこと。それはファンも同じだったはず。

 2016年のシーズン直前、誰もが「山口史上最高の山口」と褒め称えていた。でも今、あらためて去年の山口の登板試合を思い出そうとしても、不思議と何も浮かんでこない。強いて言えばヤクルト戦でホームラン打ったことくらいかな、パッと思い出せるの。好投を続けるもなかなか勝ちがつかない今永の何かを悟った目や、開幕投手、オールスター、全て山口の「代理」を務めた井納がマウンドにミステリーサークルを描いている後ろ姿、レフトスタンドの客が一斉に「マンマ・ミア」した神宮球場でのブロードウェイ初球いきなりバレンティンにホームランとかは、すぐに思い出せるのに。吐きそうになるくらい鮮明に思い出せるのに。

 なんでなんだろう。19試合投げて、11勝5敗。防御率は2.86。確かにすごい、先発としてはキャリアハイの成績なのに。たぶんどこかで「こんなもんじゃないんだ、本当の山口は」という思いがあるのだ。モンスターのごときパワーと全盛期の高橋尚子ばりのスタミナ、しかし一旦ランナーを出すと止まらない四球の出血大サービス、他人の危険球に己の危険球を思い出すそこだけ精密な記憶装置……山口、アンタに最も似合わないのは「そこそこ」だ。そこそこなんだよ。少なくともベイスターズファンは、山口のその身体と心のギャップを愛おしくも感じていた。今までのピッチャーが成し遂げられなかった、何かでっかいことをしてくれるんじゃないかという予感を心の支えにした。

 聞くに耐えない野次を受け続けて、もろめのメンタルがさらにめちゃめちゃになって、10円ハゲがポコポコ出来て。そういう時代をいやというほど味わった山口だからこそ、見返してほしかった。FAするなら、ベイスターズででっかい何かを成し遂げてからにしてほしかった。それが去年の秋の偽らざる本音。でも行ってしまうならしょうがない、それは権利だから。ベイスターズファンはきっと全力でブーイングしてしまう、だって山口が必要だったから。大丈夫だよね、分かってるよね、自分の選択を受け入れる覚悟はあるんだよね……と。