夏休みのうきうきした気分を一瞬で沈めるのが大量の「宿題」。「宿題はさっさと済ませる」「最後の数日で片付ける」「やらない」と、取り組み方、進め方は様々ですが、大人になってからの仕事のスタイルとほぼ一致する、という説があります。そこで今回「夏休みの宿題」をテーマに文春オンラインの筆者にアンケートをとり、現在の仕事との類似や当時の思い出を伺いました。
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【アンケート項目】
1.夏休みの宿題の終わらせ方と仕事の進め方が類似していますか? ○△×でお答えください。
2.夏休みの宿題の終わらせ方は、次の5パターンのうちどれに当てはまりますか?
また、現在の仕事の進め方や行動パターンとの類似点、思い出に残っている夏休みの宿題・自由研究もお聞かせください。
(1)先行逃げ切り型(7月中にすべての宿題を終わらせる)
(2)コツコツ積み立て型(ペースを守ってムラなく計画的に終わらせる)
(3)まくり型(夏休みの最後になって大慌てで取り組む)
(4)不提出型
(5)その他(他人任せ、嫌いなものは後回しなど)
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回答者:鈴木涼美
良い子できる子の明日は厳しい
1.△
2.(1)先行逃げ切り型(7月中にすべての宿題を終わらせる)
私には、小学生・中学生時代通して、夏休みの宿題を8月31日にやったという記憶はほとんどない。基本的に、自由研究や読書感想文以外の計算ドリルや漢字演習などは全て、1学期末の終業式の日に、学校帰りのマクドナルドなどで終わらせてしまい、残る大作系の課題も7月中に全て仕上げてしまう、という可愛げのかけらもない子供だったのである。
というのも、私が通っていた鎌倉市にある私立の小学校では、両親が共働きであるという子供はクラスに3、4人しかおらず、ものすごくウーマンリブの香りがするうちの母親は目立っていたし、浮いていた。他の子供が「お母様の手作り」の弁当袋などを使用する中、私の母は化粧品のおまけについているポーチに弁当を入れて渡してくる。今思えば手作りなんかより機能的で安く済んで大変合理的なのだが、当時の私は「変な家庭の子」という印象がつくのを嫌い、過剰に常識的に振舞っていた。せめて宿題くらいは優等生的なスピードで終わらせなければ、母親がそうされていたように「自由人」のレッテルを貼られる恐怖もあった。
そういった意味で夏休みの宿題との向き合い方は私にとって、自分の置かれた境遇でなるべく社会と仲良くするためにはどうしたらいいか、という苦肉の策であったわけだが、この話を生前の母にしたら、結果的に「宿題早く終わらせるいい子」になれてよかったじゃない、なんて呑気なことを言っていた。しかし、この習慣は母の与り知らないところで今の私を結構苦しめている。私のようにフリーの文筆業などしていたら、仕事が綺麗さっぱり全部終わる、なんていう日は来ないし、締め切りまでに原稿を出したところでまた次の締め切りがあるし、長期で取りかかるべき仕事もあるし、逆にやるべき仕事が一つもないとしたらむしろそれは廃業するしかなくなる。
私は、「ひとまず明日できることは明日に回してキリの良いところで切り上げ、今夜は思う存分楽しむぞ!」「やらなきゃいけないことは山積しているけど、それは棚上げにして、今はこれをやろう!」とかという気持ちの切り替えが極めて苦手である。やろうとはするけれど、どうにも気が重く、頭の中でその「やるべきこと」が首をもたげて遊びに集中できない。かといって計算ドリルと違って、気合を入れれば一日でできる、という類の問題は限られているので、結局1年間のうち360日くらいは気が重い状態で中途半端に遊んだり酒を飲んだりしているのだ。なんというか、大変優等生的な小学生の夏休みを過ごしたのに、ものすごく損した気分である。別に宿題なんてやらないで先生に小突かれるくらいの方が、やっぱり人生何かと得かもしれません。