夏休みのうきうきした気分を一瞬で沈めるのが大量の「宿題」。「宿題はさっさと済ませる」「最後の数日で片付ける」「やらない」と、取り組み方、進め方は様々ですが、大人になってからの仕事のスタイルとほぼ一致する、という説があります。そこで今回「夏休みの宿題」をテーマに文春オンラインの筆者にアンケートをとり、現在の仕事との類似や当時の思い出を伺いました。
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【アンケート項目】
1.夏休みの宿題の終わらせ方と仕事の進め方が類似していますか? ○△×でお答えください。
2.夏休みの宿題の終わらせ方は、次の5パターンのうちどれに当てはまりますか?
また、現在の仕事の進め方や行動パターンとの類似点、思い出に残っている夏休みの宿題・自由研究もお聞かせください。
(1)先行逃げ切り型(7月中にすべての宿題を終わらせる)
(2)コツコツ積み立て型(ペースを守ってムラなく計画的に終わらせる)
(3)まくり型(夏休みの最後になって大慌てで取り組む)
(4)不提出型
(5)その他(他人任せ、嫌いなものは後回しなど)
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回答者:燃え殻
恐怖を前借りしてしまいたい癖
1.◯ もしくは ◎
2.(2)コツコツ積み立て型(ペースを守ってムラなく計画的に終わらせる)
夏休みの宿題を8月31日まで引っ張ったことは一度もない。なんなら7月中に終わらせていた。きっと大体の人が、ギリギリになって猛烈に追い上げて終わらせるのが普通だとは思うし、自分が真面目なんだと言いたいわけではなく、ただ、来るべき恐怖をさっさと目の前に並べてしまって可視化させ、恐怖を前借りしてしまいたい癖が抜けないだけだ。ボクはとにかく怖がりだ。自分が一番厄介な人間だと実感したのは「夏休みの日記」という宿題をこなす時だった。友達はあとから新聞などを見て、天気を記入し、なんとかかんとかごまかしながら1日で1カ月分を仕上げていた。その余裕な感じ、アバウトな人生観に憧れるけれど、自分にはそれが到底出来なかった。ボクは7月の終わりにその宿題を渡されると1カ月分の予定を全部書き入れた。「カブトムシを採りに出かけました」「市民プールで泳ぎました」「スイカが美味しかったです」と、サラサラと書き入れていった。全部、未来日記だ。
そして、出来るだけその通りに行動することを心掛けた。その通り出来なかった日は、泣く泣く消して訂正を書き込んだ。天気だけは仕方ないので毎日記入していった。未来日記を書くことでなんとなく自分の気持ちが落ちついていくのが分かった。不確定な明日が人一倍怖かった。これはもう自分の習性で、癖で、短所であり、長所だと今は思っている。会社の週報が遅れたことは21年間一度もない。なんなら週の初めに1週間の予定を全部入れる。今週の課題と目標を明記し、その為にする事、会う人にアポをどんどん入れていく。恐怖の前借りをすることをずっと続けてきた結果、ビジネス書が推奨するような社会人になってしまった。
ただボクは最近、小説を書いた。編集の人に「だいたい来週ぐらいに原稿戻してくださいね」なんて言われると2日後には全部直して返していた。それを数カ月、繰り返したところ、さすがに編集のMさんが切れて「自分が納得したら返すようにしてください! 日時は目安ですから! 大切なことは自分が納得することですから!」と怒られた。ボクにはそれが衝撃だったのだけど、世の中が自分を待ってくれる感覚を初めて体感した。いやいや、周りを見渡すとクライアントもこの21年間で自分を信頼してくれてある程度、任せてくれる環境になっていた。社長も信頼してくれている。後輩は、先回りしてまでボクをサポートしてくれている。不感症のボクは最近やっとその状況に気づき始めた。もうそんなに明日が怖くなくなっていたことにやっと気づいた。43歳にしてやっと恐怖の前借りから解放されかかっている。未来日記はもうつけていない。明日の不安が薄らいできたのかもしれない。人よりだいぶ遅いのかもしれない。でもそれがボクのペースで、それは自分の習性で、癖で、短所であり、長所だと今は思っている。