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“森鴎外ゆかりの宿”が閉館を決意 上野・鴎外荘の女将に聞く「創業80年の老舗旅館をどう畳むか」

鴎外荘・中村みさ子女将インタビュー #2

2020/04/07
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22年前に女将となった“意外な経緯”

――みさ子さんがここの女将になられたのは、何年前のことですか?

女将 22年前ですね。

――それはどのような経緯で?

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女将 私はそれまで、飲食店で働いた経験もありませんでした。そもそも、旅館を家業とする家の娘として生まれてきたわけじゃないですし、旅館に嫁いだわけでもないんです。ただ、主人がこのホテルの支配人をしていまして。それで、22年前に前任者が引退したときに、主人がここを引き継いで社長に就任することになりました。そこで私も女将になったんです。ですから、主人は42年間、私は22年間、ここで働いたことになります。

森鴎外が『舞姫』を執筆した部屋「舞姫の間」

――女将になられた当初は、どのような状況でしたか?

女将 主人が社長に就任したとき、ホテルには思いもかけないような借金がありまして、それもそのまま引き継いだんです。それで、私も女将をやらざるを得なかったという状況でした。当時は、ここを閉めるという選択肢はなくて。素人ながらに、世の中ってこういうものなんだな、とにかくやるしかないんだな、というのがスタートでした。そこからなんとか借金は返済できましたが、そのおかげでいま、こうやって鴎外荘を残すという前向きな決断ができたのかな、と。

忘れられない「温泉のボイラーが故障した日」のこと

――閉館を前にして、いま心に思い浮かぶ光景などはございますか?

女将 やっぱり、お客様とのことですね。特に覚えているのは……うちの温泉は源泉が19度と低いので加温が必要なんですけど、ボイラーの故障でお湯の温度が上がらなかった日があるんです。5年くらい前のことかな。もちろん、気づいたらすぐに対処するんですが、私はそのことをわかっていなくて。それで、お食事を召し上がっているお客様のお部屋に「女将でございます。今日はありがとうございます」とご挨拶に行ったら、「なにが女将でございますだ! あんなぬるいお湯を提供しておいて!」と、もうカンカンに怒っていらっしゃって。「森鴎外という名前を使うな」と仰って、お帰りになってしまったんです。

真新しい暖簾は、閉館決定後の3月31日に取り付けられた。以前から予定していたので、そのまま設置することにしたのだという

 うちがいけないことですから、そのお怒りはごもっともです。でも、その直後に、今度は女性お二人のお客様に、ご挨拶に行ったんです。その方たちはお食事の時間に遅れていらっしゃって、私の顔を見るなり、「こんなに遅くなってしまってすみません」と仰るんです。私はそれを聞いて、車が渋滞でもしたのかな、などと呑気に思って、「いいえ」と答えたんです。するとお客様が、「お風呂がぬるくて、出られなかったのよ」と。

 それを聞いて、一気に謝りモードになりまして、「すみません」と頭を下げたら、「いいのいいの」って。「あんないいお湯に、こんなにゆっくり入れたのはぬるかったからよ。なかで二人でお喋りもしたのよ」とにっこりされて。それを聞いて、私、泣きそうになってしまったんです。