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コロナ禍で浮かび上がる感染研、永寿病院と「七三一部隊」の数奇な縁

戦後も「元七三一部隊員」のネットワークが形成されていた

2020/04/17

人体実験で殺害された数は2000人とも3000人とも

 最近、「感染研のルーツは七三一部隊」とする情報がネット上で流れている。それは正確ではないが、戦前・戦中の伝研が「七三一」と深いつながりがあったのは事実だ。

1946年に撮影された石井四郎・元軍医中将

 細菌戦研究の第一人者である常石敬一・神奈川大名誉教授の著書「七三一部隊」(講談社現代新書、1995年)によれば、七三一とは1936年から敗戦の1945年まで、中国のハルビン近郊の平房に存在した関東軍防疫給水部の本部(通称「満州第七三一部隊」)のこと。陸軍軍医学校防疫研究室(防研)が母体となって作られ、創設者で長く部隊長を務めた石井四郎・軍医中将の名前から「石井部隊」とも呼ばれた。

 隊員数は3000人弱でペスト、チフス、炭疽菌などの細菌兵器を研究、開発。約10年間に2000人とも3000人ともいわれる人を人体実験によって殺害したとされる。

 一方で、石井の名を冠した浄水機「石井式濾水機」を開発。特許を得て1933年から陸軍で使用され、前線で成果を挙げたという。常石氏によれば、1934年から6年間、伝研所長を務めた宮川米次・東京帝大教授ら3人が防研の嘱託となって石井部隊長を支えていた。戦後の予研初代所長・小林六造慶応大教授も防研の嘱託だった。吉永春子「七三一」によれば、逆に石井の後任の2代目隊長・北野政次軍医中将は伝研の研究生だったことがあるという。

「七三一のDNA」は公衆衛生や細菌・ウイルス研究へ広がった

 敗戦直後、七三一部隊は解散。部隊員はひそかに帰国し、公衆衛生関係を中心にさまざまな職に就いた。1979年に出版された「資料 細菌戦」(「日韓関係を記録する会」編)の巻末には、七三一部隊の戦友会の1つ「精魂会」の名簿が載っている。その中には「国立予防(衛生)研究所」所属となっている元部隊員が少なくとも2人。ほかに中央官庁や国公立・私立大学から公立・私立病院、東京都立衛生研究所、北里研究所、自衛隊衛生学校、国立療養所、薬品会社などの記載もある。

 部隊は当時の優秀な医学者や研究者を集めており、元七三一部隊員が戦後も、かつての仕事と関連した道を歩んでネットワークを形成。「七三一のDNA」が戦後の公衆衛生や細菌・ウイルス研究などの分野に広がっていたことが分かる。

※写真はイメージです ©iStock.com

 その中で気になるのは、元部員の所属先として「永寿病院」という名前があること。名簿では、元七三一部隊大連衛生研究所航空二課所属の倉内喜久雄院長と主事、技術員の3人が所属している。今回の新型コロナウイルスで院内感染が発生。患者、医師ら160人以上が感染し、入院患者24人が死亡した現・永寿総合病院(東京都台東区)のことだ。

 同病院ホームページの「沿革」によると、1953年に「社団法人ライフ・エクステンション倶楽部」として認可され、倉内氏が会長に。1956年、東京都台東区元浅草に「ライフ・エクステンション研究所」付属の永寿病院として開院。倉内氏は創立者で初代院長。1965年、総合病院として認可され、永寿総合病院となった。

 要するに、「コロナ禍」で登場する研究所と病院のいずれもが、かつて七三一と深く関係した組織だったということだ。

戦後75年たったいまも……

 これについて常石氏は「単なる偶然だと思う」と言う。「当時ウイルスは培養が難しく、七三一はほとんど手掛けていない。七三一の技術はそこまで達していなかった」。

 わずかな例外が、北野による流行性出血熱で、日中戦争中に中国・孫呉で集団発生。「孫呉熱」と呼ばれ、日本軍のウイルス使用が疑われた。研究成果は戦後、七三一の戦争責任を免責した米軍によってひそかに独占され、朝鮮戦争で実戦使用されたともいわれる。石井ら七三一幹部は東京裁判でも訴追を免れた。

多くの院内感染者を出し、換気のため窓を開けている栄寿総合病院 ©︎AFLO

「ただ、それだけ石井が作った細菌研究などのネットワークが巨大だったことの表れだろう」と常石氏は話す。七三一の生体実験には戦後、東大や京大で教授などの要職に就いた人たちも関与したとされる。戦後75年たったいまも、細菌やウイルス、ワクチンなどの分野で何かがあれば、「七三一の亡霊」にぶつかるということだ。

陸自の対特殊武器衛生隊が対応に当たった

 常石氏は「感染研は研究者の集団で、実際の感染現場を経験した人はほとんどいない。その点では、世界最強の感染症対応組織といわれるアメリカのCDC(疾病対策センター)とは決定的に違う」と語る。

 3月9日付毎日朝刊1面の記事によれば、日本政府で対応の指揮に当たったのは内閣官房の「事態対処・危機管理担当」チームだったが、感染症対策はもともと担当外で経験がなく混乱した。首相の信頼が最も厚いのは警察庁出身の北村滋・国家安全保障局長だという。

 防衛問題に詳しい後輩記者に聞くと、自衛隊にはABC(核・生物・化学)兵器の研究部隊が2つあるが、今回、横浜港に接岸して多数の感染者を出したクルーズ船ダイヤモンド・プリンセスの対応には、そのうちの1つである陸上自衛隊の対特殊武器衛生隊が当たったという。同隊は埼玉県朝霞市にあり、東部方面衛生隊(朝霞市)や防衛医大(埼玉県所沢市)と連動。自衛隊中央病院(東京都世田谷区)とも連携して動いている。

 実際にも同船には自衛隊関係の医官、看護官、薬剤官らが乗り込み、感染防護の指導などに従事したとされる。同様に乗船した厚生労働省の職員からは感染者が出たが、自衛官からはゼロ。河野太郎防衛相も会見で胸を張ったが、普段からバイオテロへの対応を想定して訓練しているはずだから、防備が万全なのは当然だろう。

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