昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

コロナ禍で浮かび上がる感染研、永寿病院と「七三一部隊」の数奇な縁

戦後も「元七三一部隊員」のネットワークが形成されていた

2020/04/17

 新型コロナウイルスの感染拡大で4月7日、特別措置法に基づく緊急事態宣言が東京、大阪など7都府県に出されたが、その後も感染拡大が止まらない。この間の展開を見ていて感じるのは、「生命と健康の安全」が最優先として「国難」「挙国一致」の名の下に異論が許されない風潮が広がっていることと、政府の判断や情報の出方に不自然な点があること、そして、表面に出ない影の要素があるように思えることだ。

「我が国の感染症研究の中心的役割を果たしてきた」

 連日テレビの報道番組には感染症の専門家が登場している。現在あるいは過去、国立感染症研究所(感染研)に所属していた人が多い。感染研は「一貫して我が国の感染症研究の中心的役割を果たしてきた」(ホームページ)。

 政府の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議(専門家会議)も、座長は感染研の脇田隆字所長が務めているほか、鈴木基感染症疫学センター長が構成員となっている。上昌広・NPO法人「医療ガバナンス研究所」理事長は、3月18日付毎日夕刊「特集ワイド」のインタビューにて、「感染研のルーツは戦前の『伝染病研究所』であり、それを支えたのは陸軍でした。軍の特徴は『自前主義』と『情報非開示』。政府の統制も受けません。そのDNAを連綿と引き継いでいるように見える。今回の事態だって、安倍政権の統制がきかない何かが働いている可能性さえあります」と語っている。

参院予算委員会で答弁する国立感染症研究所の脇田隆字所長 ©︎時事通信社

4組織の関係者が7人を占めている

 専門家会議が発足した2月14日付の政府の新型コロナウイルス感染症対策本部の文書によれば、メンバー12人のうち、現在の所属が感染研になっている人が2人、東京大医科学研究所(医科研)2人、東京慈恵会医科大(慈恵医大)1人のほか、国立国際医療研究センター(医療センター)元技官の防衛医大教授と慈恵医大卒で感染研の元所員がいる。つまり4組織の関係者が7人を占めている。

 医科研のホームページなどによると、感染研と医科研のルーツは同じで、1892年、北里柴三郎が設立した私立衛生会附属伝染病研究所。その後、内務省所管の国立伝染病研究所となり、さらに文部省に移管されて東京帝国大学附置伝染病研究所(伝研)となった(それに反対した北里は所長を辞任して北里研究所を設立)。

 戦後の1947年、(1)感染症の基礎・応用研究、(2)抗生物質やワクチンなどの開発と品質管理――を目的に、厚生省所管の国立予防衛生研究所(予研)が設置され、約半数が移籍。これが感染研の前身だ。残った伝研は1967年、医科研に。医療センターは明治時代から東京陸軍病院、東京第一衛戍病院などで陸軍の基幹病院だった(戦後は国立東京第一病院など)。慈恵医大は森鷗外との「脚気論争」で有名な元海軍軍医総監・高木兼寛が創立。海軍軍医団と深いつながりがあった。