昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

俺たちだけが語り継ぐ伝説の“10.3” あの日、巨人ファンが神宮で観たもの

文春野球コラム ペナントレース2020

2020/06/19

「選ばれし者の恍惚と不安、二つ我に有り」

 1988年5月12日の夕刻、水道橋・東京ドームのお膝元、後楽園ホールのリング上にて一人の誇り高き青年が、フランスの詩人・ボードレールの言葉を、自らの運命になぞらえていた。

 いやすんません。初登板で舞い上がって、新潮45の実録ノンフィクションの出来損ないっぽくなりました。

 挨拶が遅くなりましたが、この度不肖ながら、シン・トロイカ体制の一角として今シーズンの巨人を担当する事になりました、スタイリストの伊賀大介という者です。

 何処のスットコドッコイだぁ?と、思う方も多数だと思いますが、正味な話、そこら辺の只の巨人ファンです。齢43にもなってガキと銭湯行く時に、8やら24の札(41、49辺りもイイね!)が空いてると嬉しくなるような、ボンクラ野郎です。

いつも心のずっと奥の方にはジャイアンツがあった

 王貞治が756号を打ち、スター・ウォーズep4とロッキーが公開された1977年西新宿に生まれ、物心ついた頃には毎日ナイター中継を観てクリーム/水色ユニに憧れた。お気に入りのYG帽で玉袋筋太郎氏ヨロシク、チャリで神宮に乗り付けて外野でクロウの応援歌を歌いまくり、原辰徳のパジャマで寝る、というような昭和のガキ。

現役時代の原辰徳 ©文藝春秋

 87年の落胆、89年の絶頂、94年の興奮を感じつつも、FA制度によって倒すべきライバル(川口、広澤、江藤、そして清原……)が来たり、敵だとあんなに凄かったハウエルやペタジーニなんかブン獲っちゃったりしてからは、かなり引き気味の姿勢に。どうでもいいわーと見ていた堀内―清原の揉め事、暗黒のビジターYOMIURIユニ(野球狂なら必読の超・名著『ただ栄光のために』を書いた故・海老沢泰久も嘆いた、権力の可視化! かつフォント、カラーリングなどのデザインも泣きたくなる程ズレていた、コレじゃないユニの筆頭!)、トドメの「たかが選手が」発言などに触れていくうちにワタシの巨人熱は緩やかに、しかし確実に下降していったのであります。

 伝説の10.8、メークドラマをピークに、ON日シリあたりを潮時と、本格的にロックと映画と本とプロレス・総合の方に流れて行きました。(因みに2000年5月1日の東京ドームでは、総合格闘技史に残る90分間に渡る果し合い、桜庭和志VSホイス・グレイシーが。モチ現地観戦!)

 いや、それでもやっぱ好きだった。毎日スポーツ報知買ってたし、現場にもちょくちょく顔出しました。めちゃくちゃ寒く、熱燗キメながら観たハマスタ由伸開幕初球弾とか、02年の松井無双時代のドミンゴから打った特大HRや、おいおいadidasユニは大丈夫かよとか(後期の5000勝復刻ユニは最高!)、8月のサヨナラ慎ちゃんとか、07年の優勝決定での清水による鬼の一塁ヘッスラwith宮本慎也サヨナラエラーとか。その後も夏の神宮をビアガーデン代わりにしたりと、熱狂的ではなかったけれど、いつも心のずっと奥の方(©︎甲本ヒロト)には、ジャイアンツがあった。

 かつて、原辰徳がチャンスにポップフライで凡退し泣いていたガキは、いつしかサッポロビール片手に1軒目気分で巨人戦を観るオジサンになっていた。

 安居酒屋での延長戦、話のツマミはいつかの光景。原のバット投げ、吉村涙のセカンドゴロ、斎藤の外角スラ、槙原の暗黒抑え時代(モノノケ・ゲーム)、フコク生命、野球観が変わった岡崎、有田修三のセーフティスクイズ、グラッデンVS中西、結局「バットに乗った少年」が一番じゃん、そしてやっぱり呂明賜。結局いっつも同じ話してんな(笑)と、笑い合うアラフォー巨人オジサン達。ずっとこのままでも良いなと思っていた……。

 だがしかし! 不意にソイツはやって来た。