ゲームは、そろそろ「なわ」を手にしてもいい頃だろう
では、『メタルギア』以降のゲームはどこにいくのだろう?
【「なわ」は、「棒」とならんで、もっとも古い人間の「道具」の一つだった。「棒」は、悪い空間を遠ざけるために、「なわ」は、善い空間を引きよせるために、人類が発明した、最初の友達だった。「なわ」と「棒」は、人間のいるところならば、どこにでもいた】
これは、日本の作家、安部公房の「なわ」という短編小説からの引用である。
ビデオゲームは今でも、「棒」を手にした者同士が争っている。悪い空間や、自分に敵対する存在を退けようとするために、「棒」で相手を倒すという呪縛から逃れられない。
この状況を変えてみたいのだ。
ゲームは、そろそろ「なわ」を手にしてもいい頃だろう。「競争」だけではなく、善い空間を引き寄せて結びつける「なわ」のゲームが生まれてもいいのではないだろうか。勝ち負けによって敵と味方を二分するのではないゲーム、勝ち負けとは違うレベルの繋がりが必要なのではないだろうか。
そんな決意のもとに現在取り組んでいるのが『DEATH STRANDING』である。
映画が生まれておよそ120年。ビデオゲームは『スペースウォー!』から55年。
未だに敵を倒すだけの「戦闘ゲーム」が氾濫している。
ゲームにおける『ダンケルク』や『大脱走』が生まれるべきではないだろうか。
ゲームが本来持っている醍醐味や楽しさを損なうことなく、しかし、これまでとは本質的に異なった次元を体験できる作品が必要なのだ。
そして、ゲームのインタラクティビティは、映画や他のメディア以上に、その「体験」を深くユーザーに伝えることができるはずである。
少なくとも私には、その確信がある。
そして、そこから逃げることはない。