他の障害者の発言の機会が増えていたならば
――たしかに。でも、やっぱり乙武さんは一等星ですから。
乙武 私では、どうしても個人の経験に基づいた価値観がメッセージの軸になってしまいます。
そういう意味では、東大の熊谷晋一郎先生などは、私よりも障害者全体をカバーするような、研究に基づく非常に広い知見をお持ちです。障害にまつわる場面ではああいった方こそ発言する機会が増えてほしい、と願っていたんです。
私が2年間姿を消すことで、メディアが代わりの障害者を登場させ、その人がお茶の間に定着していたら、私はたぶんあのまま「役割は終えたな」と素直に表舞台から消えていたと思うんですよ。
「乙武すらいない」というのはもっと不健全
――その期間に、ビジネスが盛り上がっているテルアビブと、2012年パラリンピックを開催した実績のあるロンドンのどちらを訪れるか迷った末、最終的にはロンドンを選ばれた、というのは非常に象徴的なお話だな、と。
乙武 おっしゃるとおり、今思えばあれは、表舞台からは降りて、心機一転、ビジネスの世界に挑戦してみるのか、それとももう一回、マイノリティーの問題を発信していくのかという選択だったんだと思います。そこでロンドンを選んだということは、自分の中に燃えカスのように残っていた気持ちがあったというか。
もっとも、その後も海外に定住しようかと悩んだりもしました。
でももしそのまま私が消えた場合、日常的にメディアに出ている人間の中に障害者がいなくなってしまうじゃないですか。「乙武しかいない」のは本当に不健全だけれども、「乙武すらいない」というのはもっと不健全かなという思いで、またノコノコとこうして出てきたというのが正直なところです。
――今回の取材に当たり22年分の記事を改めて拝読して、想像していたよりもずっと丁寧に発信してこられたように感じました。それでもやっぱり「障害者代表」にされてしまう。それはご自身よりもむしろ、「乙武さんのような障害者」しか受容しなかった社会のほうに問題があるようにも思えます。
乙武 そうは言っても、やっぱりメディアに出ている障害者がもし私しかいないんだとすれば、健常者側からすると「乙武さんが言っていること=障害者の総意」と受け取ってしまう人も当然多くなりますよね。でも、それは完全に誤りです。