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 加えて、2017年の厚生労働省の調査によれば、扶養照会が行われた46万件のうち、実際に援助につながったケースはたったの1.45%であった。そして扶養照会には手間も時間もかかるため、申請した困窮者が2週間近く待たなくてはいけないこと、また福祉事務所の職員の業務負担がかなり大きいこと、その分税金が余計にかかることなどが問題として指摘されている。

厚労相は「生活保護の扶養照会は義務ではない」と答弁

 コロナ禍でそうした実態が露呈したことから、国会審議の中で田村憲久厚労相は「生活保護の扶養照会は義務ではない」と答弁した。2月には厚生労働省が扶養照会についての運用を見直し、これまで「20年間扶養義務者と連絡をとっていない場合は、照会をしなくてもよい」としていた基準を改め、期間を「10年程度」に引き下げた。

 さらに申請者が扶養義務者に借金を重ねている場合、著しく関係がよくない場合は「照会をしなくてもよい」ものとし、扶養義務者が虐待やDVの加害者である場合には、「照会を控える」よう全国の自治体に通知するなど、ほんの少しではあるものの、状況は変わりつつある。

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 一方で、菅内閣総理大臣は1月27日の参議院予算委員会の答弁で「(生活困窮者には)最終的に生活保護という仕組みがある」と発言しているものの、この答弁は非現実的であり、困窮者が直面する問題の実態を把握しているとは言えない。

 生活保護基準を下回るほど経済的に困窮している世帯のうち、実際に保護費を受給している世帯(=捕捉率)はわずか2割のみ。捕捉率の低さの原因はさまざまある。

 どれだけ苦しい生活を送っていても「生活保護を受給するほどではない」というふうに自身に受給資格があると考えていない人、バッシングや世間の目を恐れて申請に踏み切れない人、虐待やDVから逃れているなどの事情があり、親族に連絡されることを懸念している人など、誰にも助けを求められない人たちは非常に多い。

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外から見ているだけでは決して理解できない

 本人に生活保護申請の意思があったとしても、福祉事務所の窓口で違法に追い返される「水際作戦」によって申請すらさせてもらえないケースも後を絶たない。

『健康で文化的な最低限度の生活』の主人公は福祉事務所のケースワーカーであるので、物語は常に「行政側」の視点で進む。にもかかわらず、職員の不適切な対応や失敗など、作品内で「行政側」の問題についてもフラットな姿勢で触れていることは、非常に意義のあることだと思う。

 世間から「自業自得」と切り捨てられがちな人々が抱えている苦痛は、外から見ているだけでは決して理解できないし、理解したいとすら思われづらい。自己責任論とは、そうした「共感できなさ」から生み出されたものだと私は思う。

 貧困問題に携わる者として、貧困家庭出身で「虐待サバイバー」と呼ばれる当事者として、『健康で文化的な最低限度の生活』が少しでも多くの人に読まれることを強く願っている。