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「やっぱりこの人はすごいな」と感じたあの曲

 彼と作った曲は印象深いものが多いんですが、ひとつ挙げるとするならば、「九月の雨」(太田裕美 77年)か……いや、しょこたん(中川翔子)の「綺麗ア・ラ・モード」にします。この曲が発売されたのは2008年。かなり久しぶりに京平さんと組んだ作品で、シングルとしては最後の曲です。一緒にやらなくなってから10年以上たって、僕はずっと気にかけていたんですが、筒美さんもその期間、新しい“松本隆”を探していたんじゃないかと思います。久しぶりに彼の作った曲を聴いたときは、全盛期とまったく変わってないことに驚きました。どんな刃物でも使っていないと刃先が丸くなって切れなくなるもの。でも筒美京平という作曲家の切れ味は、時間を経てもまったく変わっていなかった。スパッと切れそうなメロディ。「やっぱりこの人はすごいな」と改めて感じたのがあの曲でした。

 80年代に入ると、松本は多忙を極めることになる。松田聖子や近藤真彦らに次々と詞を提供。自らのことを「日本でいちばん忙しいのではないか」と思う日々は、10年以上続いていたという。

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永久に試験休みのない試験

 あのころは、詞を書き始めるのが深夜0時。家族もふくめた普通の人たちが寝静まって、世の中が止まって、電話とかまったくこない状態にならないと集中できなかった。よく冗談で「僕は人の夢を食べて生きているんだ」と言っていました(笑)。家にいるときは、21時くらいから映画とか見はじめて徐々に集中して、0時に仕事開始。午前2時くらいに出来上がればいいんだけど、なかなかそうもいかなくて、結局3時、4時になる。そこから寝ようと思っても頭がフル回転しているから、なかなか寝付けず、結局6時くらい、夜明けとともに寝入るような生活でした。

松田聖子

 起きるのは昼くらい。当時は横浜のたまプラーザに家があったから、そこから都心に出て打ち合わせとレコーディング。レコーディングは、同時に2、3ヶ所でやっていたから、それをハシゴするんです。しかも松田聖子さんとかは「夜のヒットスタジオ」が終わってからのレコーディングだったりするから、スタートが深夜。そういうときはどこかで詞を書きながら、彼女の入り時間を待っていました。

 あのころは、まだ若かったから、しんどいながらも充実もしていたし、楽しさも感じていましたね。きつかったのは、毎週売上のランキングが発表されること。1位になって当たり前で、調子が悪いと2位、3位。永久に試験休みのない試験が続いている感じ。それが辛いか充実しているかは人によるよね。でもまあ、あんな生活をよく続けていたと思います(笑)。

「文藝春秋」5月号と「文藝春秋 電子版」『【作詞家50年】松本隆「僕が出会った天才作曲家たち」 筒美京平、松任谷由実、大瀧詠一 、細野晴臣……』で記事の全文をお読みいただけます。

文藝春秋

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作詞家50年「僕が出会った天才作曲家たち」