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得られなかった尊敬と服従

 金日成主席は大日本帝国から祖国を解放した英雄という金看板があり、ソ連や旧東欧圏による経済支援もあった。抗日パルチザン闘争時代の戦友もたくさんいた。父、金正日総書記にはカリスマが不足していたが、生まれた時からそばにいた金日成の戦友たちと強固な信頼関係を作った。

金正恩と金与正』(文春新書)

 金正恩氏には何もない。絶対的独裁者ではないから、簡単に自分の過ちを認め、謝罪する。今年1月の党大会では、党規約が改正され、「総書記の代理人」と明記した第1書記のポストを新設した。独裁者なら、自らを脅かすナンバー2の存在を認めるわけがない。わずか6カ月の間に3回も党中央委員会総会を開くのは、金正恩氏1人に任せておくことに不安を覚えたエリート層が、統治システムを強化しようとした結果だろう。

 金正恩氏が後継者に指名されたのは、一番早い時期を唱える人でも2008年末。金正日総書記が同年8月に脳卒中で倒れ、秋に公務に復帰してから間もない時期だった。それから、父の死で権力を継承したのが11年末。わずか3年間しかなかった。2度にわたってドイツ大使として北朝鮮に赴任したトマス・シェーファー氏は「金正恩は、(権力の継承によって)自動的にエリートからの尊敬と服従を得ることができなかった」と分析する。

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強硬派と話派との間で起きた対立

 シェーファー氏はエリートたちの間で権力闘争があったと語る。軍や秘密警察などを中心にした強硬派と、外務省や党統一戦線部らの対話派との間で対立があったという。ただ、北朝鮮では人物によって組織の性格が一変することがある。例えば、2014年秋に訪韓したほか、日朝外交でも活躍した金養建氏が率いた党統一戦線部は当時、外務省とともに外交を担う有力な機関だった。ところが、2015年末に金養建氏が「自動車事故」で死亡すると、統一戦線部も様変わりする。後釜に座ったのは、軍偵察総局長だった金英哲氏だ。

 米政府の元当局者によると、2018年から2019年にかけての米朝首脳会談で、金英哲氏と崔善姫外務次官が、代表的な会談の壊し屋だった。金英哲氏は米政府当局者らとの会談で、口汚い言葉で米国をののしり、通訳が思わず英語にすることをためらうほどだった。崔善姫氏は実務協議で非核化をほとんど認めない姿勢を貫いた。2019年2月のハノイでの米朝首脳会談が決裂した後、米政府関係者らは「崔は責任を取らされて粛清されるのではないか」と噂し合ったほどだ。

 その後、若干のポストの変更はあったが、金英哲氏も崔善姫氏も政治的に健在だ。それは、金正恩氏がエリート高位層と共生関係にあるからだ。崔善姫氏も金英哲氏も所属機関とは関係なく、現在のエリートとしての地位と生活の保全を唯一の目的とする「赤い貴族」たちだ。下手に米国と関係を改善し、開国を迫られるような事態は望んでいない。彼らは、金日成主席の戦友である抗日パルチザンの子孫であり、それが自らの権力を正当化する唯一の手段になっている。