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“ぼったくり男爵”バッハ会長、母国・ドイツでの評判は「お金に汚いビジネスマン」

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オリンピックでちらつく「ヒトラーの存在」

 ドイツ人がオリンピックを懐疑的な目で見る理由は、アドルフ・ヒトラーの存在も大きいです。ヒトラーは戦争の準備をしていたとされる1936年にベルリンオリンピックをやってのけました。

1936年のベルリンオリンピックのために建設されたスタジアム ©iStock.com

 彼が政権を握った1933年からドイツでは、ユダヤ人の商店や銀行、病院、弁護士、公証人などに対する不買運動が続いており、オリンピック前年の1935年にはユダヤ人から公民権を奪い取った悪名高いニュルンベルク法が成立しています。

 ユダヤ人に対する差別的な政策の数々がオリンピックの理念にそぐわないとして、多くの国がドイツでのオリンピック開催に反対し、最終的にはアメリカが「全ての人種を平等に扱うこと」「ドイツのユダヤ人をオリンピックに参加させること」を開催の条件としてヒトラーに突きつけています。

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 オリンピック中止を防ぐためにヒトラーは表向きには条件を呑み、全ての宗教と人種を平等にオリンピックに参加させると約束しました。しかし、その約束は破られます。

「ユダヤ人を平等に扱っている」「ユダヤ人もオリンピックに参加できる」と示そうとナチス政権は、ユダヤ人差別から逃れるため既にイギリスに渡っていたドイツ系ユダヤ人の走り高跳び選手マーガレット・ランバート(1914年~2017年)をドイツに呼び戻します。彼女は走り高跳びドイツ記録の保持者で、メダル獲得も夢ではない実力者でした。

 なお彼女が戻った表向きの理由は「オリンピックに出場するため」というものでしたが、後に「ドイツに戻らない場合、ドイツに残っている家族に危害が及ぶとナチス政権に脅された」と告白しています。

ナチスのプロパガンダに利用されたベルリンオリンピック

 ユダヤ人の運動場使用が禁止されるなどの逆境下、彼女は出場に向けてトレーニングを重ねました。しかし、その努力が実ることはありませんでした。ユダヤ人の出場をどうしても阻止したかったナチスが「あなたの走り高跳びの成績はオリンピックに出場するには十分ではない」という手紙を送り、世間に対しては「彼女は怪我をしたため、不出場となった」と偽情報を発表したからです。

1936年のベルリンオリンピックを観覧するアドルフ・ヒトラー ©getty

 そして国家レベルでユダヤ人差別が横行していたにもかかわらず、ベルリンを訪れた外国人たちがその実情を目にすることもありませんでした。当時、いたるところに設置されていた「Juden unerwünscht(ユダヤ人を歓迎しません)」という看板がオリンピック期間中は撤去され、彼らに対する差別的発言も禁止されていたからです。

 結局、ベルリンオリンピックはナチスのプロパガンダに利用されたわけです。ナチスにはスローガン「Olympia – eine nationale Aufgabe(オリンピックは我が国民の使命)」のもとドイツ国民の結束を深め、ゆくゆくはその結束を戦争に利用しようという目論見がありました。

 現在もドイツには「純粋にスポーツが好きだからオリンピックを楽しみにしている」という人はもちろんいます。しかしオリンピックが「無邪気に喜べるイベントではなかった時代」があったという歴史を多くのドイツ人は忘れていません。

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