極夜探検は、月明かりが頼りなのだが……

 なかなか凍らなかった海も、11月末になるとようやく凍結して上を歩けるようになってきた。村人の何人かが氷に海豹猟の罠をしかけ、山崎さんも海上で犬橇を走らせるようになった。定着氷も発達し、私も訓練のために毎日犬を連れて海氷や定着氷の上を歩くようにした。装備関係の準備もほぼととのい、天測も慣れて誤差が少なくなりようやく実用の目途がたった。いよいよ出発の期日が近づいてきた。

©折笠貴

 ただ、出発のタイミングを見極めるのは簡単ではなかった。その最大の要因は月である。

 極夜期間中は月明りを頼りに動くことになるので、月の暦にあわせて予定を立てなければならない。しかし月は太陽とちがって動きが複雑だ。前述したように、シオラパルクぐらいの高緯度地域になると新月前後の9日間は地平線の上に月が姿を現わさず、〈極夜の極夜〉といった真っ暗な期間にはいる。その一方で、満月前後の1週間ほどは反対に月が1日中沈まない〈極夜の白夜〉といった比較的明るい状況となる。できれば氷河の登高や氷床の縦断、途中にある無人小屋への到着時など、長い旅程の要所では月が高く昇る明るい期間を利用したい。今はちょうど月が出ない一番暗い時期だが、暦では12月6日から月がふたたび昇りはじめ、それから18日間は月光をあてにできる。全体の長い行程を考えても、月が出はじめるタイミングで氷河にとりついて、その後につづく氷床とツンドラ縦断という難所は月が出ている期間内に一気に越えてしまいたいところであった。

 それに月だけでなく、というか、月よりも厄介なのが海氷の状況だった。初冬のこの時期は海氷ができはじめたばかりで、先日山崎さんが計測したところだと16センチから21センチの厚さしかない。歩くには十分だが、怖いのは北風が吹きはじめ、氷床からブリザードが吹きおろしてきた場合だ。最悪の場合、海氷がばらばらに崩壊して流出してしまうおそれがある。天気がいいうちに氷河まで行っておかないと、嵐で氷が壊れたら、またいつ出発できるかわからなくなるのだ。一番恐ろしいのは氷河まで行く途中で氷が壊れて海に落ちてしまうことで、その場合待っているのは100パーセントの死だ。

出発直前に入った不穏な天気予報

 予報だとしばらくは平穏な天気がつづきそうだが、それもあまりあてにはならない。海氷が結氷した時点で、私はなるべく早く12月5日には出発して、月が昇りはじめる6日から氷河にとりつくという予定を決めた。

 ところが12月3日の段階になり急に不穏な情報がよせられた。シオラパルクには1972年から移住して猟師生活を送っている〈エスキモーになった日本人〉こと大島育雄さんが暮らしているが、その大島さんから、天気が荒れる予報が出ており村人が海豹狩りの罠を引き上げるらしいとの話を聞いたのである。さらに夕方になると村の若者が私の出発を心配して家にやってきて、詳しい天気情報を教えてくれた。それによると6日から北方のエリアで強風が吹き荒れ、その影響でうねりが村のフィヨルドに入ってきて海氷が崩壊するかもしれないという。私は翌日朝一番でネットの使える山崎さんの家をたずねて若者の情報を確認したが、やはり5日昼過ぎから風が強まり、3、4日は吹きつづけるとの予報になっていた。

「くそ、タイミングが悪いな。あと1日後だったらなんとかなるのに」

「明日吹きはじめても、うねりが入ってくるまでにタイムラグがあるから明日は大丈夫かもしれないよ」と山崎さんが言った。「でも沖に出ないで沿岸を歩いたほうがいい。みしみし軋みだしたら定着氷にあがったほうがいいと思う。海氷が崩壊するときは沿岸から割れていくけど、風が強いときは全体の氷が一気にバラバラになることもあるから」