86年前の今日、近代日本史上最大のクーデターが勃発した。完全武装の陸軍将兵が「昭和維新・尊皇斬奸」を掲げ、蜂起したのだ。

 彼らの究極の目標は、「宮城占拠」。政治腐敗や農村窮乏を天皇に直訴し、元老や重臣たちを排除、天皇親政を実現しようとした。しかし、昭和天皇は彼らの行動を反乱と断定、ただちに鎮定を命じた──。

 昭和の一大転回点だった「二・二六事件」の全貌を、コミカライズ版「日本のいちばん長い日」から再現する。

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「君側の奸」を殺害せよ

 1936年(昭和11年)2月26日午前5時、決起部隊1428名がそれぞれ決められた襲撃目標に向かった。

 

 歩兵第一連隊、歩兵第三連隊、近衛歩兵第三連隊を率いた陸軍将校らは、岡田啓介首相、鈴木貫太郎侍従長、斎藤実内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎教育総監、牧野伸顕前内府らを襲撃。そのうち、斎藤内大臣、高橋蔵相、渡辺教育総監が殺害され、鈴木侍従長は重傷を負った。

 

 部隊は陸軍省、参謀本部、国会、首相官邸などを含む永田町一帯を占拠した。さらに中橋中尉率いる近衛歩兵第三連隊が半蔵門から宮城内への侵入を図った。天皇に強訴し、自分たちの思いを伝えようと企てたのだ。

 岡田首相、鈴木侍従長、斎藤内大臣らは海軍出身で、昭和天皇に直接上奏できるわずかな人間だった。これら「君側の奸」を天皇から離してしまえば、自分たちの意のままに天皇を動かせる──具体的には、青年将校らが心酔する真崎甚三郎陸軍大将を首班とする暫定内閣をつくり、軍部主導による国家改造に突き進もうと考えたのだった。