きょう12月6日は、日本オーディオ協会が定めた「音の日」である。これは、1877年のこの日、アメリカの発明家トーマス・エジソン(1847~1931)が自ら開発した蓄音機により、世界で初めて人間の声を録音したことに由来する。いまから140年前のできごとだ。
その前年の1876年、カリフォルニア州メンロパークに研究所を設けたエジソンは、電話や電信の改良を進めていた。そのなかで彼は、音声による振動で物体に溝を刻み、それを突起物でなぞると音声が再生できるのではないかと思いつく。実験を重ねた結果、円筒と針を用いた方式を選択し、スケッチに描くと研究所の機械工に組み立てるよう指示した。
こうして完成した試作機は、水平に置かれた円筒の両側に、針のついた2枚の振動板が据えられていた。エジソンはこの円筒に錫(すず)箔を慎重に巻くと、そこへ一方の振動板の針を下ろす。それからクランクレバーで円筒を回しながら、送話口から振動板に向かっていくつかの単語を発した。通説では、このとき彼は童謡「メリーさんの羊」を歌ったともいわれる。こうして録音を終え、円筒を開始点まで戻すと、今度はもう一方の針を錫箔に刻まれた溝へ置き、再びレバーを回すと見事に声が再生された。その瞬間をエジソンは後年、「人生であんなに面食らったことはない」と述懐している(ジーン・アデア『エジソン 電気の時代の幕を開ける』近藤隆文訳、大月書店)。
このあと、エジソンは部下たちとともに夜を徹して、もっとよい結果を出すべく試作機に手を加えた。翌日(12月7日)にはこの試作機をニューヨークに持参し、『サイエンティフィック・アメリカン』誌の編集室で実演してみせる。その際、レバーを回すよう促された同誌の編集長は、あらかじめ吹きこんであったエジソンの声で「おはよう! この機械をどう思いますか」と訊かれて驚嘆したという(山川正光『オーディオの一世紀』誠文堂新光社)。蓄音機の実験成功は新聞でも大きく報じられ、研究所にはこの大発明を見ようと連日、大勢の人がつめかけた。
エジソンは翌78年、「フォノグラフすなわち話す機械」という名称でこの装置の特許をとり、蓄音機の販売に乗り出す。当初、彼は蓄音機を口述筆記用に使ってもらおうと考えていたが、取り扱いの煩雑さや肉声の聞き取りにくさからさっぱり売れなかった。その後、記録用の素材を錫箔から蝋に変えるなど改良を進める一方で、コインを投じると音楽が聴ける蓄音機を開発し、娯楽場に設置することで事業を軌道に乗せる(橋本毅彦『近代発明家列伝――世界をつないだ九つの技術』岩波新書)。だが、ビクターやコロムビアが円盤(レコード盤)に録音する方式の蓄音機を発売、エジソンはこれらライバル社との熾烈な競争の末、敗北を喫し、1929年には蓄音機の事業から完全に手を引くにいたった。