いまから30年前のきょう、1987(昭和62)年12月12日、東京駅の丸の内駅舎の保存を呼びかける「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」が結成された。

赤れんがの東京駅保存で署名運動をする三浦前文化庁長官(左)、高峰三枝子(中央)、村松英子(右) ©共同通信社

 東京駅は1914(大正3)年、東京帝国大学工学科教授の辰野金吾の設計により、首都東京の表玄関にふさわしいルネサンス様式のレンガ造りの建物として完成し、開業した。これが現在の丸の内駅舎である。だが、戦災で駅舎のドーム屋根が焼失し、戦後にはたびたび建て替える計画が持ち上がってきた。

「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」は、各地で町並み保存運動を進めていた主婦グループの活動をきっかけに生まれた。その前年の1986年、東京駅丸の内口の再開発構想が再燃し、このままでは赤レンガ駅舎が取り壊され、高層ビルに建て替えられかねないとの危機感から、同グループは市民有志として保存・復元の賛同者を募る。ここから文化人を含む356名が発起人に名を連ね、会の発足となった。その筆頭代表には作家の三浦朱門と女優の高峰三枝子が選出されている。発足会では「赤レンガの東京駅を創建時の姿に復元し、元のデザイン・雰囲気を尊重して保存活動を図ることこそ、現代の建築技術の成果として達成されるべきであり、都市の歴史的遺産を正しく継承していくことが責務」とのアピールが採択された(『読売新聞』1987年12月13日付)。

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復原された東京駅 ©橋本篤/文藝春秋

 市民の会により署名活動が開始される一方、日本建築学会も同月、丸の内駅舎の保存を求める要望書をJR東日本(同年、国鉄の民営化にともない発足)に提出する。こうした動きに喚起され、保存を求める世論が高まっていく。これを受け、翌88年には当時の東京都知事の鈴木俊一や運輸大臣だった石原慎太郎らが保存に積極的な姿勢を示し、竹下登首相も「その方向でやりたい」と発言した(藤森照信・増田彰久『建築探偵 雨天決行』朝日文庫)。

 のち1999(平成11)年、丸の内駅舎を創建時の姿に戻す計画が、都知事となっていた石原慎太郎とJR東日本の松田昌士(まさたけ)社長により発表され、実現に向け動き出す。後世の修理で改造された部分を原型に戻すという意味で、復元ではなく「復原」とされた工事は2012年10月に完成した。市民の会の呼びかけは、四半世紀を経て実を結んだのである。いまや東京駅は、ランドマークとしてより存在感を増し、人々に親しまれている。先週、12月7日には丸の内駅前広場がリニューアルオープンし、新たな名所となりそうだ。

駅周辺の夜景 ©志水隆/文藝春秋