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《よく喫煙室に誘われました。自分が誘ったにもかかわらず火もつけないから、「何やってんの?」と言うと、「撮影中は風間教官なのでお話ができないんですけど、好きです!」って(笑)。男子からよく告られてました》(※3)

 若い俳優たちの“告白”は、木村に大人の男性の魅力を感じてのことだろう。かつて木村のファンは圧倒的に女性で、大人の男性には苦手とする人が多いとされていたことを思えば、やはり状況も彼自身も変わりつつあるらしい。もっとも、本人としては、意識的にイメージチェンジを図っているわけではないのかもしれない。

『教場Ⅱ』フジテレビ公式サイトより

 過去のインタビューでは、これからどんな役をやっていきたいかとの質問に対し、《僕が役を選ぶことはないんじゃないですか。(中略)求められることの大きさや価値は、ほかの何にも代えられないので。その現場が求めてくれるのであれば、僕は赴きたい》と語っていた(※4)。

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 とすれば、最近の変化も、求められるものに応じて最善を尽くしたらそうなったというにすぎないのだろう。

「何をやってもキムタク」という評価

 撮影現場で共演者たちをリードする立場であることも、以前からのようだ。木村とは1996年放送の『ロングバケーション』以来、『HERO』シリーズなど四半世紀にわたってドラマや映画で組んできた演出家の鈴木雅之はこんなふうに語っている。

《彼にはみんなを引っ張ってゆく座長感があるんです。セットに入ってくるのは早いし、頭に全部入っているから現場に入ったら台本を見ないし、あの男は楽屋に戻らない。そうすると、和やかなんだけれど引き締まっているという状況が生まれる。共演する俳優さんもスタッフもその状況に引っ張られるので『木村拓哉がやっているなら自分もやらなければ』という気持ちに自然となるんでしょうね》(※5)

1996年に放送された『ロングバケーション』(フジテレビ系)

 現場を引き締める座長感とは、そのままスター俳優の条件と重なる。あるいは「どんな役を演じてもその人以外の何者でもなく、ファンからもそれを求められている人」という意味においても、木村はスターの条件に合致する。この定義はやや極端かもしれないが、石原裕次郎、勝新太郎、高倉健、吉永小百合、田村正和などこれまでのスター俳優を思い浮かべれば、納得していただけるはずである。

 しかし、ある時期から舞台出身の俳優が活躍する機会が増えたせいもあってか、どんな役にもなりきれることこそ俳優の必須条件とする見方が、一般に定着してしまったふしがある。そのなかで木村拓哉の演技は「何をやってもキムタク」と否定的に見られたりもした。