バブル崩壊後の就職難で、不本意な働き方をしている人が多いといわれる就職氷河期世代。この氷河期世代の活躍支援に、国は本腰を入れて取り組んでいる。彼らは日本の未来をどう照らすのか。政府の氷河期世代支援に沿って正社員を採用している企業に取材した。
企業が注目する就職氷河期世代採用
バブル崩壊後の1990~2000年代に就職活動を行った就職氷河期世代。厳しい雇用環境のなか、希望する就職ができずに不本意な就労状況に直面している人が多くいる。
しかし今、この氷河期世代が注目を集めている。
厳しい雇用環境と不安定な就労を繰り返してきた就職氷河期世代は「適応能力が高く、真面目でストイックに働く」という評価につながることもよくあるという。さらに、苦しい経験をしてきたからこそ、他人の痛みがわかり、周囲への気配りができる人も多い。企業にとっては、「埋もれた宝の人財」なのだ。
芝頼彦さん(40)も、こうした「宝人財」の一人だ。
高いポテンシャルを引き出せず、不本意な労働環境に身を置いてきたという芝さん。厚生労働省が進める就職氷河期世代支援に賛同した物流大手の山九株式会社が、氷河期世代の採用を増やしていると人づてに聞き、ハローワーク経由で応募。正社員として採用された。
芝さんは現在、同社の技術・開発部で全国の物流現場のトラブルシューティングを担当している。技術的な課題解決策を提案したり、根本的な課題解決のための新しい技術開発を行ったりする部署で、専門知識や経験を要する業務を行っている。
まったくの未経験で入社した芝さんは、「毎日が勉強することばかりですが、新しい知識を身につけられるのは楽しい」と充実した笑顔をみせる。
高いポテンシャルを秘めている就職氷河期世代
東北大学の大学院で博士号を取得した芝さんは、研究者を目指し、ポスドク(任期付きの研究員)として働いていた。しかし、不安定な身分でありながら研究成果をあげ続けなければいけないプレッシャーに限界を感じ、実家のある奈良にUターンして滋賀県の化学メーカーに就職した。
「新規事業に関われると聞き入社したのですが、入社後そのプロジェクトがなくなってしまい、夜勤もある現場勤務に就くことになりました」(芝さん)
毎日車で2時間かけて通勤しながら夜勤もこなす業務に、次第に体が悲鳴をあげはじめた。「現場と自宅を往復するだけの毎日で、家に帰って寝ることしか考えられなくなった」という芝さん。このままでは体が壊れてしまうと危機感を覚えた矢先に、親戚から「山九が正社員を募集している」と聞いた。
東京と福岡に拠点をもつ山九なら、福岡生まれの妻の故郷で働けるかもしれないという考えが頭をよぎった芝さん。未経験の世界に飛び込む不安に関しては、「これまでやったことがないジャンルなので、もちろん不安はありました。でもポスドク時代も大学の専攻とは違う研究をしていましたし、前職の化学メーカーでもまた、ポスドク時代とはまた別の仕事をしていたので、新しい仕事や環境はむしろ挑戦だと思いました」と前向きに受け止めた。
芝さんを採用した理由について、人事部長の青山勝巳さんはこう話す。
「芝さんは、はじめ経営管理部に応募してきたのですが、インターンシップで実際の業務に携わってもらったところ、適性とのミスマッチを感じたんです。でもここでご縁がなかったと終わらせてしまうのはもったいないと考え、研究者としての経験を活かし、当社で活躍してもらうにはどうしたらよいか社内で検討しました。そこで浮かんだのが、問題が起きている現場の原因を検証して対策を講じるテクニカルサポート業務でした。本人とも相談したうえで、現在の部署に来てもらうことになりました」
企業の多様性を叶える就職氷河期世代
山九がここまで手厚くサポートしたのは、芝さんが「旧帝大卒のエリート」だったからではないと青山さんは言う。芝さんが就職氷河期世代だということに、高いポテンシャルを感じていたのだ。
政府が進める氷河期世代支援プログラムに賛同し、採用ページに特設リンクも設けている同社は、なぜここまで氷河期世代の採用に力を入れているのか。
「ひとつは事業の拡張に伴う人手不足です。とくにプラントの工事監督など、現場管理のできる人材は慢性的に不足しています。しかも当社の世代別在籍状況をみると、氷河期世代層が少ないため、ベテランと若手の中間層が抜けているという課題がありました」(青山さん)
いまや、企業には多様な人材を採り入れるダイバーシティ&インクルージョン経営が欠かせない。4月には「女性活躍推進法」が改正され、ダイバーシティの実現に向けて国も力を入れているが、世代や性別という属性の多様性だけでは、真のダイバーシティ経営は実現できない、と青山さんは話す。営業向き・内勤向き、理系・文系、挑戦的・保守的など、組織の成長には特性の多様性が不可欠であり、この「属性・特性」両方の多様化が進むことで職場に新たな視点が生まれ、組織の成長や発展につながっていくと同社は考えているという。
さらに青山さんは「氷河期世代には他世代にない特性がある」と高く評価する。
「氷河期世代層は他の世代と比べると離職率が低いんです。不本意な就労環境でがんばってきた人が多い氷河期世代には、簡単にあきらめず物事に取り組む人が多いのではないかと考えています」
また、自分の思い通りにいかない経験を多く重ねてきた氷河期世代は、得てしてまわりのことをよくみて、周囲を気遣い、行動できる人が多いのも特徴だと青山さんはみている。「これは、当社の社名の由来にもなっている『ありがとう』の企業理念に通じるものでもあります。こうしたことからも、氷河期世代には当社との相性がいい人が多いのではないでしょうか」
「どんな経験もバネになる」
入社後は、新卒採用者と同じ教育制度を受け、技能や技術を確実に積み重ねてきた芝さん。未経験でも年齢や能力に不安を抱くことのないように配慮された会社の教育プログラムに「ここまで充実した教育プログラムが受けられるとは思っていなかった。感謝と同時に、覚えなくてはいけないことが多くて身が引き締まる思いです」と打ち明ける。
入社してすぐのコロナ禍で、職場の同僚ともリアルで会えない日々が続いたことには苦労したが、世界中の研究発表や展示会などがリモート開催され、気軽に参加できるようになったのは幸運だったと芝さんは言う。研究職時代のように新しい知識を追いかける日々を取り戻した芝さん。山九に入社して、忘れていた学ぶ喜びや、好きだった読書の楽しみを思い出した、とうれしそうに話す。
芝さんが所属する技術・開発本部では、相乗効果で部内のモチベーションが向上したと技術・開発部長の梶栗幸雄さんは話す。「これまでは現場からの異動者が多く、過去の自分の業務経験から出てくる発想に固まりがちでした。芝さんが新しい発想で、しかも真面目に取り組んでくれるおかげで、部内の雰囲気がよい方向に変わっている。学術的な知識を深めようとする人も出てきました」
今回の厚生労働省の支援により、これまで採用を控えていた中小企業も、氷河期世代採用にチャレンジしやすくなった。氷河期世代を採用することは、就職を希望する氷河期世代にとってはもちろん、企業にとっても恩恵が大きいと青山さんは話す。「企業にとって、氷河期世代の採用はダイバーシティ&インクルージョンを推進できる絶好のチャンスです。活用しない手はないと思います」
氷河期世代の採用は、SDGsと同じで、1社だけがんばっても限定的な効果しか得られない、とも青山さんは言う。「政府の支援策を活用することで、氷河期世代を積極的に採用する企業が増えれば、求職者の選択肢も広がり、だれもが働きやすい世の中になると思います」
ポスドク時代はアカデミックな研究論文も原語で読んでいたという芝さん。今後、グローバルな活躍も期待されているのでは、と尋ねると「かろうじて読み書きは覚えていますが、聞くのと話すのは完全に忘れています。また一から勉強し直さないといけませんね」と照れ笑いした。
「どんな環境でも、どんな立場でも、学べることは絶対にある。逆境を自分の糧にして、怖がらずに挑戦することで、人生は拓けていくのだと、山九に入社して強く感じています」(芝さん)
不安定な就労状態にある方から、長期にわたって無業の方、ひきこもりの方への支援まで。
就職氷河期支援について詳しく知る
(厚生労働省特設サイトへ)
写真=志水隆/文藝春秋