「その後、吉村選手からBさんに『22年の元旦に福岡に行くから会おうよ』と連絡が来たそうです。吉村選手は奥さんのAさんには『お祓いのため福岡に行く』と話していたようですが、実際はBさんと2人きりで会っていたんです。吉村選手はこの頃から、Bさんに対して猛アプローチをかけるようになった。福岡や東京で逢瀬を重ねるうち、2人は親密な関係になっていきました」
一方で、2人の仲が深まるにつれ、吉村選手の家庭での様子にも異変が表れ始めたようだ。
「吉村選手の活躍をニュースで見るたびに、複雑な思いに駆られます。妻のAさんが今どんな気持ちで吉村選手の帰りを待っているのかと思うと不憫で……」
「育児に疲れたお前の顔を見るのが耐えられない」
そう語るのは、妻のAさんの友人である。一体どういうことか。当初は取材に応じることはなかったAさんの友人だったが、交渉を続けるうちに、Aさんのことを思いやり、ようやく重い口を開いた。
「今年2月、吉村さんはAさんに対して離婚を言い渡したのです。突然のことに、Aさんはとても困惑していました。しかも吉村さんの話した離婚理由は信じがたいものでした。『育児に疲れたお前の顔を見るのが耐えられない』『家庭が負担だ。自由になりたい』と……。でも、Aさんは2021年の5月に吉村さんとの第二子を出産したばかりです。それも予定日よりも3カ月も早く生まれた低出生体重児だったため、6カ月ものあいだNICU(新生児集中治療室)とGCU(新生児回復室)に入院していたんですよ。21年11月に退院したものの、幼いお子さん2人をひとりでケアしていたのですから、育児に疲れて当たり前じゃないですか」
吉村選手はその日を境に、家族と暮らしていた千葉県のマンションを出てホテル生活を始めたという。
「それでもAさんは、こうなったのは子供ばかりに構っていて吉村さんと向き合っていなかったからだと自分を責めていました。またAさんは吉村さんの個人会社の従業員としてお給料をもらっていて、そこから生活費を捻出していたのですが、離婚の話があった2月以降、吉村さんはAさんを解雇するつもりだったとか。生活費ももらえなくなると思ったAさんは、憔悴した様子で『子供を連れて地元に帰るしかない』と話し、3月末に引っ越してしまいました。あの頃のAさんは、本当に精神的に追い詰められていた」(同前)
吉村選手が冒頭のマンションを借りて引っ越したのは4月頃のことだった。しかし、その後、事態は二転三転したとAさんの友人は語る。