城跡を巡りながら琉球古武道の世界にふれる

宇江城跡から眺める夕景

 そもそも琉球古武道は、農耕具などの身近にある生活用具を攻防のために使っていたことが始まりとされる。約700年前に発祥し、徐々に武器が進化して武術へと発達していった。

 14世紀頃になると沖縄本島に按司と呼ばれる豪族があらわれ、権力争いを繰り返すグスク時代に突入するのだが、このグスク時代から三山時代までの100年余りの間に戦乱で琉球古武道が使われていた。そして、按司たちが久米島を統治するために来島した際に、久米島にも琉球古武道がもたらされた。

 島内には按司統治時代の城跡が残されているので、巡ってみるとおもしろい。グスク時代に絶大な勢力を誇り、久米島を統治していた伊敷索(ちなは)一族。伊敷索按司が3人の息子を各地に配置したのだが、それぞれの居城の立地や造りから築城者の意向が感じられる。

 たとえば、伊敷索按司の城とされるのが伊敷索城跡。白瀬川の河口近くの断崖の上にあるが、崖の反対側は平野部につながる緩やかな斜面で、敵の侵入の危険が高い立地にある。しかしそれを回避するためか、周りに珊瑚石灰岩が野積みしてある。

 長男の居城とされる宇江城は、島で一番標高の高い宇江城岳の山頂310メートルの位置にあり、城跡からの眺めは抜群。湧き水が豊富な久米島らしく二の郭には井戸跡が見られ、これほどの高所でも水が湧くほどの豊富さだったことが窺える。

宇江城跡では島全体を見渡す大パノラマが広がる

おばあのガイドを聞きながら4つの城跡を巡ることも

 次男の城とされるのが具志川城。久米島の北西海岸の丘陵地にあり、珊瑚石灰岩や琉球石灰岩を積み上げた城壁が特徴的。城跡からは青磁や中国古銭などが発掘されていることから、当時中国との貿易が盛んだったと推測できる貴重な遺跡だ。

国指定史跡の具志川城跡

 三男の居城とされるのが登武那覇城。山の中腹の斜面にあり、他の城跡のような石垣はあまりなく、芝生の園地が広がっている。美しい樹木も茂り、眼下に広がる海や街の眺めはまさに絶景である。

登武那覇園地からの美しい眺望

 ツアーではこの4つの城跡を、島生まれ島育ちのおばあのガイドを聞きながら巡ることができる。ぜひその歴史に思いを馳せながら、それぞれの城跡を見て回っていただきたい。