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楽天をクビになって巨人へ…八百板卓丸が憧れの球団で経験したギリギリの日々

文春野球コラム ペナントレース2023

2023/04/11
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打率が.346まで上昇した2022年

 昨年は春のキャンプから絶好調でした。ところが、左足太もも裏を肉離れして離脱。5月に一度はチャンスをもらったもののコンディションが万全ではなく、すぐ2軍落ち。この時点でクビを覚悟しました。

 でも、思わぬところから道がつながりました。6月に入って立岡宗一郎さんが大怪我をしたため、僕が代わりに1軍に昇格したのです。

 最初の出番は何の因果か、楽天生命パーク(現楽天モバイルパーク)での楽天戦でした。それでも、前年に死線をくぐり抜けていたからか、余計な気負いはありませんでした。西口直人から代打でヒットを打つと、翌日は先発で起用してもらいました。

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 相手の先発投手は則本昂大さん。内心「マジかよ」と思っていましたが、不思議とボールがよく見えました。地元・東北の空気を吸って、気持ちよく打席に入れたのかもしれません。僕は2本のヒットを打つことができました。

 1軍昇格から1カ月あまりで、打率は.346まで上がりました。家族からは頻繁に励ましの連絡がきて、僕のなかでも自信が芽生えつつありました。

 その一方で、代打で結果を残す難しさも感じ始めていました。試合終盤の緊迫した場面で、リリーフの好投手を相手に結果を残すのは生半可ではありません。1打席に1球くるかどうかの甘いボールを見逃したり、ファウルにしたりすればもう終わり。阿部コーチや亀井善行コーチから代打の心構えを聞いて勉強しましたが、これからというところで新型コロナに罹患して一時離脱したのも痛かったです。僕の打率は次第に下がっていきました。

 最終的には39試合に出場して安打数は10、打率.227。1軍選手としては平凡な数字に見えるでしょうが、僕にとっては「キャリアハイ」でした。

 戦力外になった後、12球団合同トライアウトを受けようという気は起きませんでした。正直言って、「自分の実力でこれだけやれたら十分だな」と思いました。聖光学院で養った負けじ魂だけで、プロで8年間も戦えたようなものです。

 今は故郷の福島に帰り、情報処理サービス関連の企業で働いています。作業着を着て、カスタマーエンジニアとしてパソコンやプリンターなど電子機器を扱っています。プロ時代はパソコンのタイピングすらできませんでしたが、1月から特訓して少しずつ慣れてきました。今は一日があっという間に過ぎて、プロ時代とは違った楽しみを感じます。

 また、エフコムベースボールクラブという社会人クラブチームで、野球を続けています。兄と久しぶりにチームメートになれたのも、密かな楽しみです。

 僕の背番号51は、ドラフト1位の新人である浅野翔吾選手に引き継がれました。彼とは特別な縁があるわけではないし、51という番号にも深い思い入れはありません。でも、きっとこれから浅野選手を見るたびに「あの番号は俺がつけていたんだよなぁ」と思い出すのかもしれませんね。

 巨人での3年間は、すごく濃い時間でした。外様の僕であっても、別け隔てなく接してもらえて、親しい仲間もできました。お金では買えない、かけがえのない経験ができました。それを今度は地域や野球少年のために、還元していきたいと考えています。

 先日、福島での野球教室に高橋由伸さんが来られて僕もお手伝いに行きました。お話しさせてもらったのは初めてでしたが、憧れの人はやっぱり格好よかったです。

 あぁ、ジャイアンツのユニホームを着られてよかった……とつくづく感じました。

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