中学時代にいじめられた経験を持つ赤木加奈子(39)はある日、小学5年生の娘・愛が同級生の馬場小春をいじめていることを知る。赤木家は馬場家に謝罪を受け入れてもらうが、その後、小春は不登校に。小春の母・千春(40)は苦しむ娘を見て知り合いに相談するが、SNS上での匿名の告発をきっかけに、思いもよらない事態へと発展する。

©しろやぎ秋吾/KADOKAWA

加害者の個人情報を拡散するのは正義なのか?

「いじめ問題」を加害者家族、被害者家族の双方の視点で描いた漫画『娘がいじめをしていました』(著=しろやぎ秋吾、KADOKAWA)。もし自分の子どもがいじめの当事者になったら、親や周りの大人は、いったいどんな対応をするのが正解なのか――。誰もが答えに窮する問いに真正面から切り込んだ本作は、SNSを中心に話題を集めている。

「最近は『いじめの加害者には何をしてもいい』という考えで、加害者と思われる人の個人情報をSNSで拡散する人がいますよね。でもそれは本当に正義なのかな、と思うところがあって。そういうことをする人たちは、もし自分の家族や子どもがいじめの当事者になったとき、どうするのだろうと。きっと同じことはできないと思います。

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 いじめが良くないということは当然ですし、被害者の気持ちが一番大事ですが、『もし自分が同じ立場になったらどうする?』と加害者側の立場も考えるきっかけを作りたいと思って企画したのが、今回の作品です」(担当編集の森野穣さん、以下同)

「誰しもがいじめの当事者になり得る」生々しさ

 本作は、“セミフィクション”というジャンルに分類される。エピソード自体はフィクションだが、現実の出来事や人物から着想を得てコミックエッセイのように描くことで、リアリティを生み出している。加害者家族、被害者家族、それぞれが抱える葛藤や、日常が失われていく様子は実話かと思うほど生々しい。

©しろやぎ秋吾/KADOKAWA

「いじめに関する作品では、加害者側の家庭に問題があるように描かれることもある。でも、そうすると『自分とは関係ない』と思ってしまう人も多いのではないかと。今回は誰しもがいじめの当事者になり得る、他人事ではないというのを意識してほしかったので、加害者・被害者家族とも、あえて特別な設定を作らずに“普通の家庭”として描いています」(同前)

 普通の家庭で暮らす家族が突然、いじめの当事者になったら――。加害者の親である赤木加奈子と、被害者の親である馬場千春は、子どものいじめ問題に向き合う過程で豹変していく。特に、娘の愛がいじめの加害者であると知ったときの加奈子の激変ぶりは衝撃的だ。

©しろやぎ秋吾/KADOKAWA

「加奈子が娘を怒鳴るシーンには、『親としてそれは言っちゃいけない』『あの対応は間違っている』みたいな批判的なコメントがありました。あと、被害者の親である千春が、学校に行けない娘に八つ当たりをするシーンも同様です」(同前)

あえて親たちの失敗を見せ「読者が自ら考えたり、議論する機会になれば」

 作中では、あえて2人の母親の“酷い対応”を描いているという。それはなぜか。

「いじめがあったときに、親はこういう対応をしましょう、みたいな見せ方にはしたくなくて。というのも、いじめって色々なケースがあるから、正しい対処法が分からないですよね。

 だからこそ、作中の親たちの失敗を見せることを意識しました。それぞれの家庭で親が誤った対応をするたびに『登場人物は間違っている』『自分だったらこうする』という思いを読者に抱いてもらいたかった。そうすることで、読者が自ら考えたり、議論する機会になればいいなと思いました」(同前)

©しろやぎ秋吾/KADOKAWA

 その狙い通り、本作は親世代からさまざまな反響を呼んだ。ウェブ連載時から、読者がコメント欄で登場人物の過ちを非難したり、正しい対処法を主張したりして、議論が巻き起こるようになった。そして最後まで読み進めると、読者が自らのコメントに“重み”を感じるような結末が用意されている。

「これは少しネタバレになりますが、当事者ではない第三者が好き勝手にコメントすることがどれだけ怖くて重い行為なのか、この漫画を最後まで読んでいただいた方には伝わると思います。実際、全部読んだ読者からは『考えさせられる』という声が多かったです」(同前)

作品に込められた「3つのテーマ」

 さまざまな気づきを与えてくれる、メッセージ性の高い作品になっている本作。担当編集の森野さんは、最後に読みどころをこう強調してくれた。

『娘がいじめをしていました』(著=しろやぎ秋吾、KADOKAWA)

「今回の作品は、謝罪をすればいじめは終わりなのか、第三者の暴走する正義の怖さ、いじめを終わらせる手段はあるのかどうか、という3つのテーマを掲げて作りました。ただしその正解は、多分この作品の中にはないと思います。

 でも読者の方には、何が正解なのかを考えるひとつのきっかけにしていただけたら嬉しいです。私も常にそれを考えていきたいなと思っているので、この本を読んで一緒に考えましょう」