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「人を殺してしまった」と自首した平賀源内は52歳で獄死…江戸のスキャンダルとなった謎多き事件の真相とは

source : 提携メディア

genre : ライフ, 歴史

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源内の殺人は江戸市中を震撼させる一大スキャンダルに

常に新奇なものを求めて、日本全国をかけめぐった時代の寵児を、天は畳の上で死なせてはくれなかった。

安永8年(1779年)夏、源内は神田大和町から神田橋本町に居を移した。そこは貸金業を営んでいた神山検校の旧宅だった。検校は悪事を働いたかどで追放されて野垂れ死にし、その子も屋敷の井戸に落ちて死んだといい、幽霊が出るとの噂があった。いわば凶宅。そんな薄気味悪い家をあえて住まいに選んだところに源内の運気の下降があらわれていただろう。

果たせるかな、転居して半年もたたないうちに極め付きの凶運が彼を襲った。その年の11月、源内は自ら奉行所に出頭すると、驚くべき申し立てを行った。酒の上の過ちから人を斬り殺したというのである。この頃の源内は、江戸で知らない者がいないほどの有名人。その名士が引き起こした殺人事件は、江戸市中を騒然とさせ、一大スキャンダルに発展した。今なら連日ワイドショーを賑わす大ニュースになっただろう。

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殺した相手さえはっきりしない謎多き事件の顚末

しかし、その割に事件の詳細については不明な点が多い。動機はおろか、斬った相手さえはっきりしていないのだ。

木村黙老の『聞まゝの記』によれば、被害者はさる大名の庭に関する普請を請け負った町人だという。工事には莫大な費用がかかると知った大名は念のため源内に見積もりさせた。仕様書を見た源内は自分なら費用を大幅に節減できると豪語、仕事が源内の手に移りそうになったため、町人と関係役人との間で争いになった。その後、源内と町人が共同で請け負うことで和解が成立。その仲直りのため役人も交えて源内宅で酒宴がもうけられた。

源内の斬新な構想に役人も町人も感心し、宴は大いに盛り上がった。役人は途中で帰ったが、町人と源内は最後まで飲み明かし、泥酔して二人ともそのまま寝てしまった。翌朝起きて、設計や見積もりの書類がないのに気付いた源内は、町人が盗んだのではないかと疑って問い詰めた。町人は身に覚えがないと反論、口論の末、逆上した源内が刀で斬りかかった。町人は深手を負いながらかろうじて逃げ出したという。