「フーテンの寅」こと車寅次郎は、49年前のきょう、1969(昭和44)年3月27日、奄美大島でハブに咬まれて死んだ。もっとも、これはテレビドラマ『男はつらいよ』の話。寅次郎はそれから5ヵ月後、スクリーンのなかで蘇ることになる。

 テレビドラマ版『男はつらいよ』はフジテレビで前年の1968年10月3日より半年間、26話にわたって毎週木曜の午後10時台に放送された。原案・脚本を担当したのは、のちに映画版で監督を務める山田洋次。

舞台となった東京・柴又 ©iStock.com

 ドラマは、テキ屋稼業で全国を放浪していた寅次郎が、18年ぶりに叔父夫婦(森川信・杉山とく子=以下、カッコ内は配役)と異母妹のさくら(長山藍子)の住む葛飾・柴又のだんご屋「とらや」に帰ってくるところから始まった。そこから寅次郎は、さくらたちを引っ掻き回すとともに、学生時代の恩師・坪内散歩(東野英治郎)の娘で、幼馴染の冬子(佐藤オリエ)に恋心を抱く。その後、さくらは医師(井川比佐志)と結婚、冬子にも恋人(加藤剛)が現れた。最終回で寅次郎は、失恋を機に再び旅に出ると、大阪で再会した弟分のユージロー(佐藤蛾次郎)を連れ、ハブで一山当てようと奄美大島に渡るも、あっけなく死んでしまう。さくらはユージローから寅次郎の死を知らされても信じなかったが、その夜、寅次郎の幻を見てやっと確信し、兄に別れを告げるのだった。

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「男はつらいよ」シリーズで、1972年には第20回菊池寛賞受賞を受賞。パーティに参加する山田洋次(右)と渥美清(左) ©文藝春秋

 しかし寅次郎が死んだことに、フジテレビには抗議の電話が殺到する。このあと、松竹で山田洋次と渥美を組ませて映画をつくる企画が持ち上がると、寅次郎を生き返らせれば、人気が獲れるのではないかということになり、『男はつらいよ』の映画化が決まった。作家の小林信彦によれば、渥美はドラマが始まった直後より《あの役に、おれ、乗ってるんだよ》と言っていたという。小林はあとになってそれが「長い迷いの末に鉱脈を探り当てた」という意味であったことに気づく(小林信彦『おかしな男 渥美清』新潮文庫)。事実、その後、車寅次郎は渥美清と一体化し、映画版『男はつらいよ』は、渥美が1996(平成8)年に亡くなるまでじつに48作がつくられた。

渥美清(1972年撮影) ©文藝春秋