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 東京は80年代の日本を先取りするかのように変わりつつあった。78年にゲーム「スペースインベーダー」が登場し、79年には「ウォークマン」が売り出された。

 初めての電子キーボード「カシオトーン」が出たのも80年1月だ。ハイテク都市東京が「TOKIO」になった。「若者の街」の代名詞も新宿から渋谷、原宿へと変わった。

 糸井は矢沢永吉(1949~)の自伝『成りあがり:矢沢永吉激論集』(78年)を聞き書きしたことで知られるようになった。

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『矢沢永吉激論集 成りあがり How to be BIG』(画像:Amazonより)

 彼がCM音楽プロデューサー大森昭男(1936~2018)の依頼で80年に書いた西武百貨店のコピーが「不思議、大好き。」。

 ナンセンスやパロディーをユーモラスに取り入れたパルコ出版発行のサブカルチャー誌「ビックリハウス」で糸井の人気連載「ヘンタイよいこ新聞」が始まったのも80年だった。

「やっと憎まれるくらいまで来たなって思った」

 彼らの作品の中にある従来のジャーナリズムとは違う軽さを、メディアは「軽薄短小」とやゆするように名付けた。椎名誠や嵐山光三郎らの軽妙なエッセイは「昭和軽薄体」と呼ばれた。

 糸井は、前述の拙著『みんなCM音楽を歌っていた 大森昭男ともうひとつのJ-POP』の中でこう言った。

「本当にうれしかった。やっと憎まれるくらいまで来たなって思った」