物憂げではかなく、どこか神秘的な母性を感じさせた百恵。若松の言葉を借りれば“抜けるように明るい”青春そのもののような聖子――1980年代、デビュー当時の松田聖子はいったいどんな存在だったのか?
音楽評論家で日本のロック、ポップスを創世記から見続ける田家秀樹氏の新刊『80年代音楽ノート』(ホーム社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
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対照的だった山口百恵と松田聖子
時代の主役は、時に演出家でもいるのではないかと思うくらいに劇的に交代する。1970年代を代表する女性アイドル、山口百恵(1959~)が婚約と引退を表明したのは80年3月。松田聖子(1962~)のデビュー曲「裸足の季節」が発売されたのは同4月だった。
聖子がデビューするきっかけは78年、CBS・ソニー(現・ソニー・ミュージックレーベルズ)と集英社の雑誌「セブンティーン」のオーディション。歌ったのは桜田淳子(1958~)の「気まぐれヴィーナス」だ。
九州地区大会で優勝したものの、親の承諾を得られずに全国大会への出場を断念。その時の応募テープを聴いたCBSソニーのディレクター、若松宗雄(1940~)の強い勧めと親への説得が功を奏して79年に上京、歌手への道を歩き始めた。
若松は当時のことを、後に書籍化されたスタジオジブリの月刊誌「熱風」での筆者の連載「風街とデラシネ 作詞家・松本隆の50年」の取材でこう言った。
「写真も履歴書もないままに全部の応募テープを聴いていてすごいなと思ったのが彼女だった。声の強さと抜けの良さ。でも、会社の人は誰もいいとは言わなかった(笑)」
百恵から聖子へ――物憂げではかなく、どこか神秘的な母性を感じさせた百恵。若松の言葉を借りれば“抜けるように明るい”青春そのもののような聖子。声質も表情も2人は多くの点で対照的だった。それは「70年代と80年代」の違いを物語っているかのようだった。