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「昔とはまるで別人。本当にご立派に…」愛子さま(22)“内気なプリンセス”は高3で変身した

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「毎年、お正月に5組ほどの同級生の家族が集まって御所に挨拶に伺い、簡単なおせちやお菓子を頂きます。愛子さまは幼稚園くらいの頃から、きちんと座って大人たちの話を静かに聞いておられました。一方である時、誰かが愛子さまに遊園地に関する話題を振ると、雅子さまが『お化け屋敷が好きなのよね』と助け舟を出しておられました」

雅子さまと愛子さまが“シンクロ”する時期も

 そんな愛子さまには“危機”があった。初等科2年生での「不登校」だ。さらに、雅子さまのお付き添い登校が「過保護」「公務より愛子さまを優先させている」などとバッシングを浴びることになった。

「雅子さま自身も04年7月に適応障害と公表され、好不調の波があるとされた。生活リズムも昼夜が逆転し、深夜に赤坂御用地を散策したり、インターネットをご覧になるのが日課になっていた。そんな中、しばらくして学校に行けるようになった愛子さまも、たびたび遅刻をされるようになりました」(宮内庁関係者)

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 皇宮警察関係者も、当時の愛子さまのご登校について「毎朝のようにインカムから『定刻の30分遅れ』と連絡が流れてきた」と証言する。

「当時の愛子さまは、雅子さまと一緒に夜に宿題に取り組まれるなど、雅子さまの昼夜逆転生活に引きずられておられた。女子中等科時代も遅刻や欠席が相次ぎ、雅子さまの心身の不調が愛子さまと“シンクロ”していると見る向きもありました」(前出・宮内庁関係者)

女子中等科時代の激ヤセ

「山の日」の記念式典にあわせて地方公務デビュー

 そんな愛子さまに天皇は、皇族としての自覚が自然に芽生えるような手ほどきを続けてこられた。その一例が、愛子さまが女子中等科3年生だった16年夏。前述の沖縄の豆記者との交流で、こんな計らいがあった。川満さんが語る。

「両陛下と愛子さまが東宮御所の庭で、豆記者の子どもたちと輪になって一緒にバレーボールをなさったのです。時間にして20分ほどのことでした。当初の予定にはなかったのですが、両陛下が事前に準備をしてくださっていたようです」

 バスケやテニス、スキーに親しんでこられるなど、運動がお得意の愛子さま。ご両親は人見知りの愛子さまが自然に豆記者たちと心を通わせられるようにと、バレーボールでの交流をセットされたに違いない。

 この年、愛子さまは地方公務デビューも果たされている。8月11日、新しく制定された「山の日」の記念式典にあわせて、ご一家で長野県の上高地などを訪問されたのだ。

「山の日」制定でご一家で上高地に(2016年)

 ご一家を案内した当時の上高地町会長、上條敏昭さん(74)が振り返る。