日本時間7月1日、世界上位16カ国が参加するネーションズリーグで史上初となる銀メダルに輝いた男子バレー日本代表。主将でエースの石川祐希(28)はチームの精神的支柱だが、過去には“自己中”だった時代があった。「日本男子バレー 勇者たちの軌跡」(文藝春秋)の著者でフリーライターの田中夕子氏が綴る。
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石川の己を貫く強さ
銀メダルの立役者は間違いなく石川だった。決勝では優勝したフランスの徹底マークに屈し、ブロックされる場面もあったが、前日の準決勝ではスロベニアを相手にチーム最多の21得点を挙げた。
愛知県岡崎市の出身で、星城高ではインターハイ、国体、春高を2年連続で制する前人未踏の6冠を成し遂げた。2014年には日本代表に初選出され、同年準優勝したアジア競技大会にも出場。同年8月にはイタリア、セリエAのトップクラブであるモデナと契約。中大に在学しながら、大学、イタリア、日本代表と活躍の場を広げてきた。
高さで勝る相手に対峙し、スパイク技術を磨いた。スピードもさることながら、相手のブロックが揃った状態では無理に勝負せず、あえてブロックに当てて再びチャンスボールにして切り返す。状況判断が磨かれたのは間違いなくイタリアに渡ってからで、同時に、プロ選手ばかりが集まる世界で己を貫く強さも育まれた。
確かな努力で習得したイタリア語
著しい進化を遂げたのは語学力も同様だ。石川自身、
「意思疎通を図るためだけでなく、試合に出るためには監督の意図を理解しないといけない。そのために必須だった」
と語るように、テレビで耳を慣らし、日常会話の中でわからない単語をメモして調べる。感覚ではなく、確かな努力で習得したイタリア語は現地人と遜色ないレベルだ。
プレーで見せるだけでなく、言葉でも自分がどうしたいか伝え、何を求めるかを主張する。アスリートとしてごく当たり前の貪欲な姿勢だが、東京五輪を迎えるまでと今を比べると様相が異なる。