バレーボールネーションズリーグで銀メダルを獲得した男子日本代表。パリ五輪の組み合わせ抽選が行われ、男子日本代表はグループCでアメリカ合衆国代表、アルゼンチン代表、ドイツ代表と予選ラウンドを戦うこととなった。
52年ぶりのメダル獲得を目指す、史上最強といわれる日本代表の中で主将を務める石川祐希の秘話を『日本男子バレー 勇者たちの軌跡』(田中夕子著/文藝春秋)より抜粋して紹介します。(全2回の2回目/最初から読む)
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「失望」という言葉は、何を意味していたのか
激闘から2週間後、イタリアのクラブシーズンへ向けて新たなスタートを切った石川に、インタビューする機会に恵まれた。
最初に、聞きたいことは決まっている。
パリ五輪予選初戦、フィンランド戦後のミックスゾーンで発した「失望」という言葉は、何を意味していたのか。石川は、即座にこう答えた。
「単純に、もっとできると思っていたんです。今だから言えますけど、正直、大会前は全然練習ができていなかった。だけど、それでも自分では“できる”と思っていたのに、全然できなかった。ここに打てば決まる、というところに打っても決まらないし、ブロックもされる。こんなにできないのか、ということが多すぎて、(自分に)失望していたんです」
腰の痛みで満足に練習ができなかった
実は、パリ五輪予選の前から石川には不穏な空気が漂っていた。
8月のアジア選手権を控えたトルコでの事前合宿。ぎっくり腰のような症状で背筋が伸ばせなくなった石川は、丸々2日間練習を休んだ。休養したことで症状が改善したため、アジア選手権には出場し、金メダル獲得に貢献できた。
だが、帰国後のオフを経て練習が再開されると、再び腰が悲鳴をあげる。しばらく練習を休んでも痛みが引かない。今シーズン最大のターゲットとしてきた五輪予選を前に、最も恐れていた事態に直面した。
9月上旬の沖縄合宿には参加はしたものの、全体練習にはほとんど参加できずに別メニューをこなすだけ。ウエイトトレーニングも患部に負担をかけないよう下半身のトレーニングは除き、上半身のみに限られた。医師やトレーナー、チームスタッフと緻密に連携しながら復帰に向けたプログラムをこなしていたが、観客を入れて実施された大会直前のカナダとの親善試合も6割程度の力でプレーするのがやっと、という状態だった。