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「母親とは連絡を取り合ってるんですか?」
「全然していない。手紙を書いても返ってこないから」

 いつもは頭をかきながらゴニョゴニョと返答する和也だが、そのときだけは強い口調で言った。目には怒りが帯びている。

「会いたいとかは?」
「全く思わない」
「じゃあ誰か会いたい人は?」
「お姉ちゃん……」
「連絡は?」
「どこに住んでいるかわからないし、(障害を持っているから)ひとりでは来れないと
思う」
「お姉さんと連絡がつくようになったら連れてきてあげましょうか?」
「ありがとうございます」

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 和也からの、初めての明確な意思表示だった。質問を続けた。

「もし違う家庭に生まれていたら、ここにいなかったと思うことは?」
「自分がいちばん悪いですから。同じような家庭で生まれてもしっかりと生きている人はいます」
「そういう人たちと自分の違いはどこだと?」
「自分には無理でした……」
「半生の回顧録のようなものを書いてみませんか? もしかしたら土屋さん以外にも事件を起こした要因はどこかにあるかもしれない。罪が変わることはないけれど、社会に、ひとりの死刑判決を受けた者が半生を残すことで何か良い方向に変わることもあるかもしれないと思うんです」
「はあ……」

 明確な答えはなかった。だが私は、和也は書くと半ば確信した。これまで付き合ってきたなかで、和也は社会に対する不満や怒りを持ち合わせていると感じていたからである。

なぜ温厚で礼儀正しい青年が事件を犯してしまったのか

 面会を終えた数日後、和也から手記についての葛藤を記した手紙が届く。

(回顧録を)確かに発表したいですが自分の語イの少なさと表現力、どこまで記憶通りにかけるかなど不安と課題などを感じています。また世に問うべきという意見には賛成ですが、犯罪者などからの意見や訴えに耳を貸さないのが世間だと考えています。

 再び東京拘置所に出向いて和也を諭すように告げた。

「時間がかかってもいいから少しずつでも書いてみませんか? もしひとりでも考える人がいたら、それは意味のあることだと思うんです」
「……はい」

 土屋和也死刑囚が一時期暮らした、母親の実家がある街(写真:筆者提供)

 東京高裁で行われた二審でも死刑判決が下され、「先日の判決は想定内でしたので驚いていません」と和也が語ったこの時期、私は和也とトコトンまで付き合う覚悟を決めていた。それは、決して和也を通じて社会への問いかけをしたいという責任感などではなく、なぜ目の前にいる温厚で礼儀正しい和也が事件を犯してしまったのか、全体像が見えぬまま断片的に彼の半生を聞いても、聞くだにわからなくなっていたからだ。

 ともかく、その後も毎月、東京拘置所を尋ねては、手記を完成させるため半生を聞き取る作業を行い、同時に手記の執筆を促した。それは犯行についてはもちろん、和也からの手紙を無視し続ける母親や、障害を持った姉たちとのいびつな関係を振り返る作業でもあるわけで、確かに和也にとっては苦痛な作業だったに違いない。それでも手記は、少しずつだが動き出した。