高齢者2人を包丁で刺して殺害しながら、盗んだのは約7000円と犯行後に囓ったリンゴ2個――。2020年9月に死刑が確定した土屋和也死刑囚を、不可解な犯行に駆り立てたものは何だったのか。彼が残した「最後の言葉」を、高木瑞穂氏と、YouTubeを中心に活躍するドキュメンタリー班「日影のこえ」による新刊『事件の涙 犯罪加害者・被害者遺族の声なき声を拾い集めて』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
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手記に綴られていたのは母との楽しい思い出ばかり
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自分の小さい頃の話は伝えたいと思っていますが、それをまとめて整理する時間をください。ほとんどろくな人生ではないですが、聞いてもムナクソ悪くなる話ばかりです。
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方向転換して和也に生い立ちを整理することを勧めたのは、事件当時の記憶がほとんどなかったからである。事件のこととは一転して明確な記憶が残っていたが、その多くはつらい記憶。犯した罪に弁解の余地はないが、確かに和也には「またあんな思いをするのは…」と、生きることを躊躇するほど安息の地がなかった。
深い反省には至っていない。自分の事件を母親のせい、その生い立ちのせいにしているフシもある──。和也と面会を重ねた印象はこうしたものだった。彼は自分でも口にするように、両親への憎悪をずっと持って生きていた。東京拘置所で語った言葉だ。
「母親を責める気はない。でも、みんな等しく悪い。俺がいちばん悪いけど、母親も父親も。もっと親に対して言いたいことはあるけど、言いたくない」
反面、母親に対し特別な愛情も持っていた。以下、幼少期に家族3人で遊園地に遊びに行ったときの手記の記述である。
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お菓子かアイスを買ってもらい近くの人工池の囲いに腰をかけて座り、姉弟並んで食べていた。そのお菓子に、夢中になっている子供の姿を思い出に残そうと、母はインスタントカメラを手に写真を撮った。
「みーちゃーん(姉)、カズー(和也)」と母が呼んだ。
「ん?」と思って声の方を向いたらパチリとフラッシュと音がした。
カメラを片手にいたずらが成功したようにはしゃぐ母。
母のしてやったりな顔が「ニシシ」。
まぶたの裏に浮かんでは薄れていく。
後輪側にまず姉が座らされ、その次にボクが前輪側に座った。うろ覚えだが「まえ! まえ!」とごねた自分が当時居たのかもしれない。
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幼稚園の帰り、母親が2人の子供を乗せての自転車の操作に慣れておらず転倒し、和也が頭を打った際に自分を気遣ってくれた思い出だ。
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あっちを向けられ、今度そっちを向けられて、せかせかと動き回る母。決して首をコマの様に回された訳ではないが、自分でも確かめたので困った反面、その母の想いが嬉しく感じてボクは目を伏せたんだった。
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手記で綴られたのは、母親への恨みや事件の反省ではなく、母との楽しかった思い出ばかりだったのだ。しかし、手記はそれから2年間、1ページも書き上げることなく2020年4月、最高裁の日程が決まる。「過去を思い出すとつらい。事件を思い出すとつらい」というのがその理由である。