階段から落ちそうになった女子生徒を助けた若手教員に対する、「触られた」「怒鳴られた」という母親からの理不尽なクレーム……。「娘が傷ついたと感じた事実がすべて」「私だけは娘の味方」と主張し続ける母親との面談はどのように決着するのか。

 教育業界に詳しい西岡壱誠氏による『カスハラ化する保護者たち』(星海社新書)の一部を抜粋。カスハラ保護者の前で矢面に立つ管理職の葛藤を紹介する。

©milatas/イメージマート

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「学校が悪かった」と確認する言葉を求める保護者

 転倒の危険性。瞬時の判断の必要性。意図が加害ではなく安全確保であったこと。男性教員が女子生徒に接触することへの社会的な警戒があるからこそ、むしろB先生が最初は距離を取っていたこと。

 しかし、母親の返答は常に同じ場所へ戻った。

「娘が傷ついた事実は変わりません」

「怖かったと感じたんです」

「学校は生徒を守る場所でしょう」

「親の私が言わなければ、この子は泣き寝入りするだけです」

 1時間が過ぎた。

 2時間が過ぎた。

 時計を見るたびに、私の中の何かが少しずつ削られていくのが分かった。

 3時間を超えたころ、私は試しにこう言った。

「お嬢さんは、いずれ社会に出ていかれます。そのとき、善意で助けようとした行為が、必ずしも自分の望んだ形ではないこともあります。相手に悪意があったのか、それとも危険を避けるための対応だったのかを見分ける力も―― 」

「社会に出る前に、学校で守られるべきなんです!」

 母親は私の言葉を遮った。

 そのとき私は悟った。

 この面談で相手が求めているのは説明ではない。

「学校が悪かった」と確認する言葉だけなのだ。

 窓の外は、もう暗くなっていた。

 職員室では若い教員たちが、明日の授業準備や部活動の後始末に追われている時間だった。

 私はここで4時間近く、同じ言葉を繰り返している。

 正しさを守るためではない。

 学校という組織が、これ以上傷つかないようにするために。

「娘には、つらい思いをさせたくないんです」

 母親は疲れたように言った。

 だが、その眼差しの強さは変わらなかった。

「世界中の誰が敵になろうとも、私だけは娘の味方なんです」

 その言葉を聞いたとき、私は何も返せなかった。

 親としての愛情を否定することはできない。

 だが、その愛情が、相手の善意や現実の危険までも否定し始めたとき、学校は何をもって応じればいいのか。