「……すみません」
「謝るな」
私は首を振った。
「一つだけ覚えておいてくれ。君は、生徒を守るために動いた。あの場面で最優先すべきだったのは、生徒が怪我をしないことだ。それだけは、絶対に間違っていない」
B先生の目が少し赤くなった。
「これから先も、こういうことはあるかもしれない。相手の“感じ方”だけが絶対になって、事実も状況も通じないことがある。理不尽な要求に、長時間対応しなければならないこともある」
私はそこで言葉を切った。
「でも、だからといって、正しい判断まで手放してはいけない。現場の教員が一番先に壊れたら、生徒を守る人がいなくなる。矢面に立つのは管理職の役目だ。君は、生徒の安全のために必要なことをやり続けてくれ」
B先生は深く頭を下げた。
彼が部屋を出たあと、私は一人で窓の外を見た。
グラウンドでは部活動の掛け声が響いていた。
学校は今日も、何事もなかったように動いている。
だが現実には、正しい対応をした者が報われず、説明を尽くした側が疲弊し、最後には「もう終わらせたい」という理由で折れる。
令和の学校現場では、そういう静かな敗北が、毎日のように積み重なっている。
解説: 学校はどこまで「感じ方」に責任を負うのか
本章で取り上げたのは、怒鳴り散らす保護者の話ではありません。「子どもの気持ちを守りたい」という一見すると正しそうな言葉によって、学校側の説明や事情がすべて無効化されていくタイプの大変さがあるトラブルです。善意や愛情をまとっているからこそ、反論しにくい。そこに、令和の保護者対応の難しさがあります。
この種の問題は、すでに「個々の学校の受け止め方」のレベルを超えています。文部科学省は、保護者等からの過剰な苦情や不当な要求のうち、学校だけでは解決が難しいものを「学校以外が担うべき業務」と位置づけています(「学校と保護者・地域とのより良い関係構築に向けて」)。つまり国自身が、こうした案件を現場の教員や校長だけで抱え込ませるのは限界だと認めはじめているのです。