死刑判決が確定し「確定死刑囚」となると、親族以外、面会が認められることはほとんどなくなる。少なくとも私のようにメディアの人間が認められることはない。しかし、最高裁で死刑判決が下されたからといってすぐに確定死刑囚の処遇になるわけではない。
判決が言い渡されてから10日以内に「判決の訂正申し立て」をすることができる。これは名前などの誤字脱字の訂正を申し立てる制度で、判決自体を変えるものではないが、多くの死刑囚が形式的に確定まで時間稼ぎをするためにこの制度を使う。そして全ての手続きが終わり、棄却の書類が拘置所に届くまで面会も自由に認められる。
まだ時間は残されている。
記者に残した「最後の言葉」
私は最高裁での死刑判決から約2週間後の9月24日に、再び拘置所に向かった。
「判決の訂正申し立ては?」
「先週のうちに弁護士に手紙を書いてお願いしました」
安堵した。少なくともまだ2週間は和也と会える。すぐに半生の聞き取りを再開した。
「改めて教えてください。和也さんにとって母親とはどういう存在でしたか?」
「当時、信頼していた唯一の肉親。いまは良い意味でも悪い意味でも大人になった。現実を知った」
「どういう意味でしょう?」
「親離れしたということ……かな」
「以前は母親への敵意を剥き出しにしてましたよね。いまは?」
「責める気はない。みんな等しく悪いと思っている。自分がいちばん悪いけど」
「みんなとは?」
「母親」
「あとは?」
「父親も入る。父親が親権を持っていたら俺は良い大人になっていたかといえばそうは思わない」
「他にもいますか?」
「もっといるけど今は言いたくない」
「最高裁の判決文は読みました?」
「はい、見ましたけど内容が薄すぎて特に何も思わなかった」
「受け入れられましたか?」
「認めたくない部分もあったけど、追認される社会なので」
「そういえば文章がどんどん上手になってますね」
「ありがとうございます。文法の勉強、もっとしておけばよかったです」
「続きも待ってます。また来ます」
和也との会話はこれで最後になった。担当弁護士が判決の訂正申し立てを黙殺していたからである。他人の私でさえ怒りを覚えるほどありえない対応だ。ましてや当事者の和也が平然と受け入れられたはずがない。もう和也に直接、話を聞くことはできないが、手元には未完ながら160枚の手記が残った。足りない部分は自分で取材をしよう。読み返し、言葉で交わしたわけではないが、手記の補完を塀の中の和也と誓った。