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栗田艦隊の混沌とした状況

 午前9時25分に護衛空母の追撃を中止したあと、栗田は各艦を呼び寄せ、輪形陣の戦闘隊形に再集合させた。これは命ずるのはやさしかったが、実施はそう簡単ではなかった。視界は依然として嘆かわしく、無線通信は不安定で、容赦ない航空攻撃は中央部隊を襲いつづけていた。艦隊の隊形を組み直すのにはゆうに2時間かかり、そのあいだにも、新たな触接報告や無線傍受が殺到して、混沌とした印象をいっそう強めた。北方にもう一隊のアメリカ機動部隊がいるという執拗な報告は、自分たちが包囲されているという感覚を日本軍にあたえたが、敵艦はその方角に現われなかった。

1942年頃撮影された栗田健男中将の公式ポートレート(写真=『太平洋の試練 レイテから終戦まで』より)

 11時20分、栗田は南西に針路をさだめ、一時的にレイテ湾に突入しようとした。その30分後、見張り員が南方の推定距離39キロの水平線にペンシルヴェニア級戦艦とほか4隻のマストが見えると報告した。これはオルデンドーフ艦隊ではありえなかった。オルデンドーフはまだレイテ湾の南方にいて、あたりにはほかに戦艦はいなかった――あきらかに、これはまたしても幻影だったにちがいない(栗田は大和の水上機を調査のために送ったが、どうやら撃墜されたようだ)。

逡巡する栗田提督

 午後1時13分、栗田はまたしても気を変えて、北へ針路を戻した。今回はべつのアメリカ空母群を発見するのを願って、サマール島の沿岸を進むつもりだった。その存在は、キンケイドの平文の送信を傍受することで推測されていた。栗田の中央部隊は、航行中さらに数次の航空攻撃を撃退しながら、数時間、北上した。栗田は2時間以内に敵機動部隊と触接すると予期していたが、マストトップの見張り員があらゆる方角の水平線を見まわしても、敵艦の姿はなかった。燃料の配慮が彼の心に重くのしかかりはじめた。

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 じきに燃料がたりなくなって、コロン湾にたどりつくことはおろか、アメリカ軍の航空攻撃にたいして回避運動をすることさえできなくなるだろう。もし引き揚げるなら、いまが最後の機会だ。午後6時30分、夕暮れが迫るなか、栗田は戦闘を切り上げ、サン・ベルナルディノ海峡を目ざすことを決断した。