モノクロ写真をAIの技術とともにカラー化し、写真を提供してくれた方との対話を重ねる。その過程でご本人の当時の記憶が蘇る……。
当時高校1年生だった庭田杏珠さんは、戦争体験者のもとへと幾度も足を運び、彼らのかつての日常を呼び覚まし続けた。
原爆投下後の凄惨なイメージが伝えられがちな「ヒロシマ」だが、かつての広島ではどのような生活が営まれていたのか。庭田さんはなぜ、戦争を経験した人々の元へ足を運び続けるのか。同氏が共著者として書き上げた『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』に掲載されている写真とともに、彼女の思いを聞いていく。
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「もしかしたら、これが最後になるかも」
――当時は高校生だったということで、学業と活動を両立させるのは大変だったのではないでしょうか?
庭田 そうですね(笑)。今もそうですが、平日も休日も、「記憶の解凍」を最優先にして取り組み続けてきました。
たとえば、テスト期間って早く帰れるじゃないですか。でも、次の日の勉強のことよりも、明るい時間に、戦争体験者からお借りした写真をフォトスキャンしたり、お話しを伺いに行ったりしていました。
――遊びたい盛りと言ってもいい学生時代。一筋縄ではいかない日々に思えるのですが、庭田さんをそこまで突き動かす原動力は何だったのでしょうか。
庭田 大げさかもしれませんが、使命感というのはすごく感じていました。戦争体験者は皆さんすでに高齢者ですし、実際、一度しかお話をうかがうことができなかった方もいらっしゃいました。「もしかしたら、これが最後になるかもしれない……」という思いが常にありましたね。
――そうした日々を過ごされながら、庭田さんは東京大学に入学されました。進学先はどのように決められたのでしょうか。